2017年3月4日。
6回目の抗がん剤治療2週目に入り、妻の体調は比較的良い状態だった。

ただ手の痺れの副作用だけは治療の回数が進むにつれ、症状が顕著に現れてきた。
 
 
箸を持ってうまく食べられない。
 
衣類のボタンがうまく付けられない。
 
水道水を触れない。

 
そんな彼女を見ると心が痛くなった。
 
育児休職を取得し、彼女といる時間が多くなればなるほど、彼女が苦痛と闘っている姿を見る機会が増えた。
 
自分も闘わなければという覚悟が強くなった。
 
 
そしてCT検査の結果。
望んでいたレベルにはほど遠かった。
 
お互い平気な素振りをしていても、心の中でいつか訪れる「死」というものを意識せずにはいられなかった。
 
 
でも。
今この瞬間に元気でいる事。
 
これが本当にありがたいと思いながら毎日を送っていた。
 
 
抗がん剤治療は2週間に一度行うものだけれども、副作用が強く出るのは最初の1週間がメイン。
 
だから1週目には出来るだけ何の予定も入れない。
 
予定を入れる場合は2週目に寄せる。
 
 
自分でコントロールできないようなイベントの場合は、1週目に起こらないように神に祈るしかない。
 
特に治療をする最初の3日間に被ったら神を恨むしかなかった。
 
副作用が辛いのもさることながら、抗がん剤のボトルをぶら下げて外出するなど、出来るはずもないから。
 
 
2017年3月4日。
この日は娘の幼稚園の体験入学の日。
 
治療2週目に当たった。
運が良かった。。

 
入園説明会も兼ねて行われるから、メモと筆記用具を用意して気合十分。
 
重い病気を患っているとは思えないほど元気な妻。
母親である事が彼女を強くしていたし、誇りに思っていたんだと思う。
 
子供にご飯を食べさせるとか。
お風呂に入れるとか。
遊びに付き合ってあげるとか。
幼稚園に行かせるとか。準備するとか。
寝かし付けるとか。
笑顔でいるとか。
 
普段の生活そのものだし。
母親なんだから出来て当然なんて思ってた。
 
でも今、彼女を失って自分がやる事になって。
 
笑顔でいられる事の偉大さに初めて気付いた。
 
何があっても。母親でいる。
だから死ぬ気が全然しないと。
 
絶対に生き抜いて母を全うしたいと妻は言っていた。

 
今は私が代わりに全うする番。
 
えーと。
父を全うする?
 
何だか父ってなるとしっくりこない。
 
やっぱり母は偉大です。