【 42歳になりました。】
2/21は私の誕生日で、
両親に生んでくれたことに感謝する日でもあります。
今日は私の両親と夫について書きたいと思います。
父は中学校の先生でした。
今は定年退職しています。
小さい頃は授業や部活で忙しくて
休みもほとんど取れない中、
僅かに取れた夏休みなどに
キャンプに連れて行ってくれたり、
遊園地や動物園に連れて行ってくれたりと
色んな経験をさせてくれました。
怒ったらめっちゃ怖い父で、
ひとりっ子のため基本的に過干渉で
愛情もたくさんくれました。
小学校の3年生あたりから、
私の口もだんだんと達者になってきて、
喧嘩が始まるようになりました。
あまりに勉強をしない私に激怒し、
大事なマンガ本を外の空き地に
投げられた時には、
あまりに悲しくて腹が立ち
「一生許さない!」と子供心に誓いましたw
高校卒業するころまで、
しょうもない喧嘩が続きましたが
大学生のころには
ほとんど衝突はなくなりました。
就職した時に
「お父さんはこんな大変な仕事というものを
何十年もやってきたのか!すげー!」となり
父を尊敬しはじめました。
父は中学校から養護学校へと
勤務先が変わりました。
養護学校で子供たちに接しているうちに、
怖い顔がだんだん優しい顔になってきました。
支えたりするので体力を結構使うらしく、
出ていたお腹も引っ込みましたw
母と
「お父さん学校の先生ずっと
がんばってきたから、
最後の職場でご褒美をもらったんだね。」
と言っていました。
今ではニコニコ顔で
いつも幸せそうに笑っています。
そんな父を今では尊敬し、大好きです。
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母は私が生まれる前まで
自分で事業をしていて、
結構稼いでいましたw
私が生まれる時には
子育てに専念するために
スパッと事業を手放しました。
母は幼い頃に小児麻痺にかかり、
左足の足首から先が動きません。
だけど、いつも私をおんぶしてくれたり、
一緒に長時間散歩してくれたり、
階段も普通に上り下りしたりしていたので、
私は全く気がつかずに育ちました。
小学校の高学年か中学校1年生くらいの時に、
ふと母の足が少し動きがおかしいと思って、
「お母さん足怪我したの?」と聞きました。
そしたら、母は
「あんた何言ってるの?
お母さん子供の時から足悪いんやで。」
と言いました。
私はビックリしました。
まったくそんな事を感じさせる事なく
一言も泣き言も聞いたことがなく
いつも明るく元気にパワフルだったからです。
母はいつも私の味方をしてくれて、
登校時には見えなくなるまで
窓から見送ってくれていました。
身障者手帳を給付されていて、障害者4級ですが
車の運転もできるし、シャキシャキ歩くし
母が障害者用の駐車スペースに車を停める時には
ほんとに足の悪い人に申し訳ないんじゃないかな?
といつも思ってしまいますw
実家に帰るといつもめちゃくちゃ美味しいご飯を
つくってくれて、一流旅館か!?というくらいの
おもてなしをしてくれる母。
母に敵うものがほとんどなく、
一生かけても追いつけそうにありませんが、
母のようないつも誰かを励まして
明るくてパワフルな人間を目指します。
そんな母を心から尊敬していて、大好きです。
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最後に夫の坂田公太郎。
彼はご存知の方も多いと思いますが波乱万丈な人生を送っていて、めちゃくちゃユニークです。
とても活発に見られていますが、
自宅ではとても大人しく、
淡々と自己研鑽しているような人です。
読書家で勉強家で、健康にも気をつけて、
ジムにも通い、美味しい料理もつくってくれて、
規則正しい生活を送っています。
いつも「綺麗だよ」「愛してるよ」「大好きだよ」
と優しい言葉をいっぱいかけてくれます。
喧嘩をしたらめちゃくちゃ怖いです。
その時はもう一生仲直りできないのでは!?
とガクブルになります。
とても涙もろく、
今日も映画「君の膵臓を食べたい」を
見て泣いていました。
今話題の槇原敬之の
「僕が1番欲しかったもの」を
車の中で歌った時は
歌詞に感動して泣きながら歌ってました。
(事件が起こるもっと前の話)
決断力があり、沖縄移住もそうだけど、
普通の人がなかなかできないような
大きな決断を何度もしてくれて、
とても頼りになります。
ユーモアがあり、面白いモノマネをします。
私はリスのモノマネが特に好きです。
そんな夫を世界一の夫だと思ってます。
尊敬しているし、愛しています。
最高の家族に誇りに思ってもらえるよう
42歳も成長していきます!
そして新規事業「社外アイデア企画室」が
ついにスタートを切ります!
関わってくださる方々に心より感謝しています。
42歳の佐々妙美もよろしくお願いいたします!