長男は日曜特訓で丸一日いない。
昼過ぎ、次女の友達が遊びに来た。
以前から、この友達の、what you see is what you get (私の言っていることが私が思っていること、私が思っていないことは言わない)という態度を、私は好ましく思っているのだ。
女の子特有の大人へのおもねりや、うっすらとしたマウンティングと無縁な、今日も今日とて率直な言動にふれると、「なんとなく見上げたら空がめっちゃ高いのに気づいた」みたいな気分になる。
二人に白玉粉を買いに行かせて、白玉団子を作る。お湯の扱いだけ大人が目を配れば、このうえなく簡単な工程。
できあがったごまときなこの二種類の味。
交換したり食べさせあったりして堪能したらしいので、皿や鍋の片付けを命じる。
「自由には責任が伴う」と宣言すると、友達も厳かに繰り返した。
片付けのあと二人は、どの公園に行くか議論しはじめた。
紙にメリットデメリットを書き出して整理している。
私は「どろろ」3巻を読みながら聞いている。
いわく、
家に近い公園は、かねがね思っていたが、未就学児向けではないか。
やや距離のある公園に、高学年でも楽しめるアスレチックがあるが、どうか。
友達がママさんに電話して遠い公園に行っていいか聞くらしい。両親とも外国にルーツがあり、就学を期に日本に越してきたと聞いている。
スマホからママさんの外国語があふれ、彼女も迷いなくその言語で返事している。
家族間では母国語なのだ、それはそうか。
ママさんからのラインや口頭での会話は流ちょうな日本語であったので、ふいをつかれた。
自分の家の中に外国語がひびくのが小気味いい。
二人を遠い方の公園まで送る。
要は、こんなふうに、ものすごく微細な、でも「自分ひとりで生きていたら経験しないようなこと」にふれて、肌を粟立たせたりして生きていきたいんである。