今日は春分の日。 
 


今年の札幌は、
春分の日と思えない雪景色だけど、
春分の日にぴったりなお天気太陽







太陽は、
世界各地で太陽神として崇められている。



何故だろう?



改めて考えてみた。



とても単純なことだった。



太陽が無いと、
私たち人間も動物も植物も生きていけないからだ。



太陽が無くなれば植物は枯れ、
動物たちは食べるものを失い命が尽きる。



植物や動物が無ければ、
私たちも生きてはいけない。



太陽が照れば、
植物も動物も私たち人間もそれぞれ
必要な食べ物を得られる。



もちろん、
太陽は照ればいいというものではない。



照り過ぎればそれはそれで
植物も動物も私たち人間も命を奪われるハートブレイク



太陽は私たちの命を握っているだけでなく、
命そのものだというのとになる。



だから、
必然と崇めたくなるのかもしれない。



私たちの命があることに
感謝します

ほどほどに私たちを
照らしてください

どうかお怒りならないよう
よろしくお願いいたします



太陽の怒りを買ったら大変なことだろう。







その代表が天照大御神の『天岩戸伝説』



弟の須佐之男命のイタズラに
痺れを切らした天照大御神は、
天岩戸に閉じこもってしまった。



元祖引きこもりだと言える。



世の中は真っ暗になり、
色々なものにカビが生えたり、
病気になったりして、
困ったことになった。







太陽が無くなったらどうなるか、
照り過ぎたらどうなるかは、
伝説の有無に限らず、容易に想像ができる。



けして夢物語ではない。



春分の日をはじめ、
夏至、秋分の日、冬至といった太陽の節目は、
今一度心改め、太陽に感謝し、祈願する
大切な日なのだと改めて思った。



そして、
お天道様に恥じない生き方、
お天道様に顔向けできる生き方というのは、
太陽と私たちの関係からきてるんだ
ということも改めて思った。


 

 

 

 

 

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