今日は、

愛猫・桜の初めての命日。




猫年齢 17歳、人間年齢84歳だった。





様子がおかしいと思って、

病院に連れて行ったのが8月11日。




血液検査をすると、

「本当ならもうよだれ垂らして

横たわっていてもおかしくないんだけど…」

と先生に言われた。




この時点で桜は、

自分でご飯を食べ、水を飲み、

トイレにも行っていた。




だけど、

「そう長くはない…」

と言われた。




日に日に桜の容態は悪化していった。




だけど逝く様子は全然ない。




「よっぽど居心地がいいんだな」

と先生に言われた。




嬉しかった。




毎日が最後の日

と思いながら過ごした。




明らかにおかしい

と感じたのは8月31日の夜。




トイレに行った後、

トイレから出て、

行き倒れていることはあったけど、

トイレに行ったものの、

用を済ませると、

そこで力尽きていた。




翌日、

仕事から帰ってきて、

病院に連れていこうとすると、

ベッドでトイレを失敗していた。





トイレに行く力もないんだ…





病院に行って帰宅して、

おむつを買いに行った。




帰ってくると、

動きたい気持ちがあったみたいで、

でも思うように動けず、

おかしな体制になっていた。




おむつをした。




抵抗しなかった。




されるがままだった。




私はいつもどおりシャワーに入り、

ご飯を食べた。




桜は、

過度に側にいられるより、

私がいつもどおりに

過ごしているのを好んだ。




ご飯を食べ終えると、

聞いたことのない鳴き声が聞こえた。




今晩だ…と思った。




その後はずっと桜の側にいた。




たくさん話をした。




たくさん褒めた。




向こうに1人で行くのは

心細いかもしれないけど、

華ちゃんや蘭が待ってるから

大丈夫だよ

と話した。




私はもう少し先だけど、

必ず行くから待っててね

と伝えた。




出会えたこと、

一緒に暮らしてくれたこと、

感謝をたくさん伝えた。




本当は、

桜はもっと生きたかったんだと思う。




だけど、

腎臓の病気はその気持ちを上回った。




22日間、

毎日薬を飲み、

毎日点滴をうって、

桜は病気と闘った。




小さな体で、

生きるために命をかけて

病気と闘うことを

身をもって教えてくれた。




生きたい、

もっとここにいたい、

その気持ちが寿命を伸ばす、

奇跡を起こすことも教えてくれた。




出会って死ぬまで

一緒にいれることだって

当たり前じゃない

と教えてくれた。





鳴き声を聞いてから90分。




息を吐く回数より

吸う回数が多くなってきた。




息を吐くことは、

生きてるからできること

と聞いたことがあった。





恐くない、恐くない

大丈夫、大丈夫




何度も何度も声をかけた。




そして、

最後に一息、息吸った後、

桜の命は終わりを告げた。




息を引き取るということは

こういうことなんだと思った。




22日間、この日まで、

桜が最期まで痛くないように、

苦しくないようにと

病院に通い続けた。




後悔をしないように

できることをしよう

と思った。




看病・介護生活の間、

私は寝ることもままならず、

食も細くなり、

体力も落ちていった。




そんな日々も、

桜の命が尽きるとともに終わった。




悲しかったけど、

終わったんだという安堵感、

そして、

お互いに頑張ったねと讃えた。




最後のその時まで、

桜に尽くせて本当に幸せだった。





桜と出会ったのは

2005年10月8日、

ペットショップだった。




大体、

生後3ヶ月で買われていくことが多いのに、

桜は4ヶ月になろうとしていた。




同じゲージの中にいた

兄弟猫はいなかった。




寂しそうに鳴く桜の声を聞いて、

家に連れて帰ることにした。




車の中で、

「桜」と名前をつけた。




既に我が家には、

華ちゃんという猫がいた。




華ちゃんは

2005年6月11日生まれ。




桜は

2005年6月17日生まれ。




運命だと思った。




人間は大好きだけど、猫嫌いな桜は、

華ちゃんにだけは心を許していた。




血統証の桜は、

誰よりも野生的だった。




よそ見をしてたら、

まるでライオンか虎のように

人の肉を奪って食べていた。




ツンデレで、超マイペース。




病院に連れて行く時も大人しく、

薬を飲むのも上手。




大きな病気もせず、

体調が悪くなる半年前にした

血液検査も100点満点!




そんな桜が、

一気に体調不良となったのは、

病気というよりは寿命

だったのだと思う。




最近は、

人間も動物も長生きだけど、

84歳、十分に生きた!

と私は思っている。





あれから1年。




あっという間だったような、

早かったような、

だけど、

あまりにもマイペースな子だったので、

ひょっこりと現れて、

ドタドタと走ってきて、

今にもニャーとと聞こえそうな気が

ずっとしている。








去年の手帳より


    


桜の命が終わる瞬間まで

目をそらさなかった。


命がけで命のことを

教えてくれた。


死に恐れは感じる。


誰もが経験するけど

誰にも語れない。


無くなる、終わることへの恐れ。


その恐れをしっかり感じたい、

目をそむけちゃいけないと思った。


桜にも恐い、不安を

感じて欲しくなかった。


死=呼吸が止まる。


呼吸は生きているからできること。


息をしていることは

当たり前じゃない。


生きてることに

当たり前のことは何ひとつない。


大切な人(動物)とも

永遠には一緒にいられない。


生きるためにお金、

お金のために仕事、

生きる=仕事になってるけど、

生きるとは自分を含めた大切な人と

どれだけ穏やかに過ごすか

なんだと思う。


自分1人で人生を

完結なんてないのだから。


私は命をたくさん

粗末に扱ってきたけど、

死ねなかった。


自 死という選択はあるけど、

寿命、天命というのは

神様にも決めることは

できないのだと思う。


自分が決められるのは

どう生きていきたいか

ということだけ。


生きていればある

恥や失敗も

人生の長さに比べれば

比にならない。


ほどよく食べて、しっかり寝て、

蓄えたエネルギーを

放出するかのごとく行動する。


生きているということ。





最後まで読んでいただき、
ありがとうございました❤
 

 

 

 

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