一九七〇年転換期における『展望』を読む
という本を読んでいる。
偶然、図書館で見つけて読んでいたら面白かったので
買い求めパラパラと読んでいる。
何にひかれたか明確に表現することは難しい。
本書の前文で
『ここに再録されている論文を読んで、読者はー私たち編集委員が事実そうだったのだがー
羡望のようなものを覚えるだろう。それらの論文は、思想がまさに現実の一部であり、
現実と渉りあっていることを示しているからである。』
掲載されている論文の内容は現代社会でも十分に通用する内容もある。
掲載されている論文から40年以上たっているにもかかわらず、
社会が同じような問題を扱い続けていることを見ると考えてしまう。
時代を経て、
物事を描写する文章や言説は尽きたのではないか?
これからは、
物事を創り出す言葉と行動が今まで以上に必要である。
言うは易し行うは難し
で片付けれられるものではない。
行動と失敗の繰り返しで、前進を作っていくことだろう。
袖ケ浦市のあり方を考えてみると、
「他の市でうまく出来るまで様子を見よう」という姿勢がアリアリと見える。
行政だから「様子を見よう」なんて言えるが、
民間企業だったらどうか?
答えるまでも無い。
このあり方を変える議会を誕生させることが
今回の市会銀選挙の意義である。