イタリアングレーハウンド 走らせたらその美しさは秀逸です
若いころの龍馬
「インナーゲム」を読んで・・・。
自分が陥って出られなくなりかかった溝の正体が分かることで、その「溝にはまってしまった人」として冷静に自分を観察することができました。
本を読んでの感想というか、どう解釈するのかは個人個人で違うと思いますので、ここではいくつか私的に心に響いた部分を抜粋してみます。
「試合中も練習中もひっきりなしに自分に対して命令し、励まし、叱咤するもう一人の自分がいることに気付いているだろうか。小うるさい上司のような命令の専門家は実は自身のスポーツを妨害する張本人でもあった。」
「プレーヤーはショットを打つ前も打つ間も、ものを考えすぎている。自分の動作を頭でコントロールしようと、頑張りすぎている。結果について意識過剰になり、その自分のイメージに与える敗戦やミスの影響を心配しすぎている。」
「こうした精神面のトラブルを明確にするために、我々はセルフ1、セルフ2という概念を導入した。セルフ1はいわゆる自我のことで、セルフ2は自分自身の肉体とその能力自体である。セルフ1はセルフ2に、どうやってボールを打つのかを命令するのが大好きだ。自然で、高いレベルのテニスをプレーするためには、この二者の適正な関係を作り上げることが必要だ。」
セルフ1による判断・裁判癖により
「自分自身を裁判し、評価する作業が続き、繰り返されていく。思考活動が進展し、自意識がどんどん強くなる。結果的に要らない部分の筋肉にスイッチが入り、ストロークのスムーズさを欠き、ぎくしゃくしたものに陥っていく。当然裁判は「有罪」の度数を増やし、悪循環が進んでいく。・・・1本のサーブを裁判し、次に数本まとめて、サーブ全体を、そして今日のテニスを、テニスライフ全体を、さらには人格までをも、「まとめて」評価してしまう」
この本の中では「ゲーム」をその目的と動機によって3種類(上手志向、友好志向、健康娯楽志向)に分類していて、私が属しているのは上手志向。
上手志向はさらに、完全志向、競争志向、イメージ志向に分類されている・・・私は完全志向ですね。
その障害として・・・。
外側・・・理想とする完璧さと現実に発揮する能力のギャップが永遠に縮まらない。
内側・・・望むように完全になれないことで、自分を責める。その結果失望が先に立ち、頑張りすぎや自己不信に陥りやすく、自分にはイチバンになれるもの何もない、と考えやすい。
「いわゆる「真剣な」プレーヤーーの多くが、このスポーツにのめり込んだ当初の動機の如何に関わらず、最終的には上手志向のいずれかのゲームに属するようになる。多くは、週末のいい汗をかきに、あるいは日常のストレスから逃れるためにテニス・コートに通い始めるのだが、次第に自分ではとうてい到達不可能な高い目標を設定するようになり、その結果コートの内でも外でも、継続的な欲求不満や緊張に苦しみ始める。
なぜ、テニスが、不安や怒り、絶望感や自己嫌悪に苦しむほど、重要になってしまうのだろうか。」
競争の真価・・・障害を与え合い、相互のベストを引き出す
「サーファーがあらんかぎりの能力と、勇気と、集中力を発揮することになるのは波が彼にとってとてつもなく大きいときだ。・・・障害が大きいほど、サーファーは自分の真の能力を発見し、それを伸ばすことができるのだ。・・・・テニスでは、自分の能力の上限を体験するために必要な障害を与えてくれるのは、いったい誰だろうか。サーファーにとっては、それは波だった。テニスではむろん対戦相手である。・・・彼はあなたのテニスを困難にするように全力を尽くしてくれる限り、友人である。・・・互いに対戦相手の「大きな波」(障害)となることが、プレーヤー同士の義務ですらある。それによって初めて、双方がそれぞれの能力の上限を発見する機会を与え合うことができる。」
「本当に欲していたのは自分のベストをプレーし、エンジョイすることを妨げているこの神経質さを克服することだった。」
「自分を一つにするためには、心の活動をスローダウンさせることが必要なのだ。「心を静かにする」(Quieting mind)とは、思考、計算、判断、心配、恐れ、希望、頑張り、後悔、焦り、他のことに気を取られる、といった活動を減速させ、鎮める作業だ。その状態をより長く保ち、心をさらに鎮め、自分自身の習得能力や、実行能力が連続的に拡大していくことが、我々の目標だ。」
「心を静かにする」 Quieting mind
