図書館で「日本語力ー人生を変える最強メソッド 出口汪 著」を借りて読んだ。
この本を読むきっかけが何だったのかは覚えていない。
最近、言葉が出てこなくなった、漢字も読めない、書けなくなったなどを感じている。
もともと、そんなにあったわけではないが「日本語力」は落ちている。
「日本語力」に書いてあった「そうだなー」と思ったことを抜粋する。
* 感性を磨くことは、人間や自然、社会に対して深い洞察力を磨くことに他ならない。
* 同じ世界で暮らしながらも「感情語」(好き、嫌い、明るい、暗いなどを言葉にしただけの
もの)を使うか感性のある日本語を使うか、両者は、まったく異なった次元で暮らしている
* 言葉を知ることは使えるパステルの色が増えるようなこと。
* 言葉は単なる伝達の道具ではなく、思考、完成、発想力、想像力など人間のすべての
営為の源である。
* 比喩は単なる飾りではなく、同じ現象を角度を変えて捉えなおす技術である。
* 仕事や人間関係において文章や会話・スピーチが正しく伝わるよう表現する論理力と
それをうまく伝わるよう表現する感性が必要になる。
<日本語を鍛えることで、「論理」と感性」が同時に磨かれ、より豊かな人生を送ることにつながる>
著者が言っているように「短歌」「俳句」「詩歌」は日本語力を鍛えることにつながると思う。
先日の日曜俳句をみながら日本語を鍛えることを考えた。
季語は「南風」だった。
最初に、風の季語の4つを示し、これは四季のどの季語かというのがあった。
春:鰆東風(さわらこち)
夏:黄雀風(こうじゃくふうー梅雨時に吹く南東の風、この風が吹くことで「海魚変じて黄雀とな
る」という言い伝えがある)
秋:雁渡し
冬:虎落笛(もがりぶえー柵や竹垣などに吹き付ける強い風が発する笛のような音)
黄雀風と虎落笛は読めなかった。虎落笛は読めなかったが、風のイメージはできる。黄雀風は、中国の言い伝えとの関連がよくわからない。芥川龍之介が「黄雀風」という小説を書いている。この時代には一般的な言葉だったのか。
この日の俳句で好きな俳句はこれ
「泥染めの糸の波うつ南風」
実際の様子は見たことがないが、写真でみる藍染の糸を干している様子、藍の香りに包まれるような感じだ。
テレビの日曜俳句を毎週見ることは、日本語力を鍛えることにつながるかもしれないと思う。