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生きている以上は何かしなくちゃ、こんな毎日です。いろんなこと興味はあるけれど、学があるわけじゃなしこんな話人に話せないし、電波の向こうに勝手に話してみようかと。

 ものすごく私の考えと一致。しかし細部に食い違いは残ります。まず重要なのは、日ユ同祖論の根源は縄文人であるということ。但しここでは、D1a2人の移動と考えています。私はかねてよりC1a1の移動であると書いてきました。つまりユダヤの先行民族はEとC1a1の混成軍だったと考えます。そして失われた十氏族の一つがC1a1aだったと考えれば、ユダヤにC1a1aがいないのは当然になります。たとえ残ったとしても発見不能なほど淘汰されたと考えれば不思議でもありません。とにかくハプログループについてはここで確定する必要は無く、縄文人がメソポタミアから、イスラエル・エジプトに入り、日本にたどり着いたのが縄文晩期になり、それは弥生の開始でもあったのです。この時代縄文人は人口が激減し、新縄文人、つまり所謂縄文系ユダヤ人が、ぞくに弥生人とされた。しかし、新縄文人のDNAによって縄文人のDNAが維持されたのです。勿論長江人もほぼ同じ時期に帰還しました。これがD1a2a1a2b1です。このときO2系の末端種がともに来ました。現代の縄文人は長江系天皇族とイスラエル系天孫族が、今の天皇家の歴史を作ったのです。そして以外にもNO1系が絡んでいると考えられます。古墳人は支那・チベット・インド系O2人です。この連中とO1b2系がみんな渡来系の遺伝子と扱われたので、ゲノムレベルでは渡来系日本人とされたのです。実はO1b2a1a1もこの時期の渡来です。つまり考古学では弥生人になります。でも縄文人47zの弟分ですから縄文系と言っていい人たちです。但し、縄文生活は短く新縄文人と言うしかありません。この辺の事は

分からないことが多いというだけでなく、元々間違えているのです。こんなことでは日本人のルーツなど分かるはずもありません。勿論私自身全て単なる推測です。間違えていたら取り消します。

 

 最後にゲノムレベルでは古墳人のDNAが多く、Y-DNAハプログループでは2割しかない。このことについて恐ろしい推測をしています。つまりある時期O2系が増加したのでゲノムレベルでその比率が高くなったが、その後O2系は戦いに破れ激減したという。日本にもこんな虐殺まがいのことがあったのか。考えたくないね。しかし奉ろわぬ人達が居たのも事実です。ここは妄想レベルですが、誰か合理的な解決してくれないかな。