昨年末12/19-20 

横浜<お城エキスポ>城下町物販ブースでお城イラストレーターの香川元太郎さん、絵巻作家の正子公也さん、作家 鷹木忍さんたちの書籍参加のお誘いして参加しました。

 

特に香川さんは第一回から「お城の描き方」でワークショップをされていたのですが、自著の書籍は出店している版元の出版社営業や企業ブースでの販売にお任せでした。

ワークショップが終わればまったくのフリーだったので会場で香川さんを探すのが大変。

 

当たり前ですが参加している出版社は自社の所の本を売り切りたいので、香川さんだけの本だけ力を入れるわけではありません。

今までは相対的に売れたとの感触はなかったとのことです。これは他の作家さんでも同じです。

 

今回は武漢ウィルスで客足はかなり減っており、昨年の入城者数が2日間で18,000人を記録。今年はまだ未発表ですが参加した感触として40%程しか稼働しなかったのではないか?(大体7,200人ほど)と考えています。

 

今回香川さんのPHP研究所「日本の城」を25冊とポストカードを50セット用意して「日本の城」完売、ポストカードは23組販売。

しかも他社のブースにも香川さんの本があるので、声を掛けてもらい出張サイン会となって、香川さん関連でトータル40冊以上は売れていたと考えます。

隣ブースの編集者が香川さんのお城イラストの3600円の書籍10冊しか用意してなかったことを悔やんでました。

 

 

今回参加してみて、ワークショップや講演会の作家さんや先生方にに声を掛けて、物販ブースを用意すれば本を置いてもらい簡易サイン会ができる。しかも、販売ブースがそれぞれの作家や先生方の連絡所になり、つられてイベント参加の地方公共団体も挨拶に来て名刺交換ができる。

 

歴史物の作家さんや研究所の史料的書籍を出している先生方には<お城EXPO>は穴場だなーと感じました。

 

 【集客】

   講演会やワークショップ(集客は会場側の営業で賄う)

 【収益】

   ここに来た見込み客を取りこぼさないように販売ブースに誘導(ここで自著・グッズの販売で収益化する)

 

▷▷今回は告知なしで販売ブースがあるだけで25冊は売れると証明されたので、【集客】と【収益】の導線があれば50冊以上は売れると予測される。

書籍を扱う物販ブースは昨年まで100冊用意していたとのことで、確かにこれなら売れると確信。

 

今まで販売ブースを出してまで自著を売る。これはお客を逃さないクロージングという行動をする人がいなかっただけで実にもったいないと感じました。

 

 

この物販ブースは展示会場とワークショップ、講演会が終わったお客様が必ず通る帰路の場所なので、導線として優れており、あと2〜3年はブルーオーシャンだなーと思いました。

 

今年も頑張れそうです。

 

 

文庫や単行本の表紙を描いてたイラストレーターを集めたグループ展を催した時に、懇親会にクライアントやクライアント見込みのお客様に、お土産用にと書籍の広告宣伝も兼ねてグループ展に参加しているイラストレーターの描いた書籍を1種類50冊以上買い上げ、合計で200冊程購入した。

 

イラストを描いた本人に編集部に連絡して取り寄せた。懇親会当日、書籍担当の編集者とその作家まで来てくれて、狭いギャラリーがあっという間に編集者と作家と溢れかえった。

1種類50冊買っただけで、わざわざ作者の作家さんとその担当者の編集者が陣中見舞いとして、懇親会に来てくれたのだ。

その好意に私は感激したのだ。そして、どれだけ出版業界がキツくて厳しいのかも知ることができた。

 

小さな書店なら文庫を3冊から5冊しか置いてないとしたら、50冊が捌けると言うのは書店でいえば10店舗から16軒店舗の消費活動に匹敵する。実際問題としてサイン会を催しても集客が難しく、作家自身が情報の撒き餌を小まめに日々行っていなければ2時間足らずのサイン会で50冊も売れるということはなかなか少ない。

 

ある程度、キャリアのあるご年配の古老の作家さんに

"コンスタントに本が出ているならサイン会はしないんですか?"と尋ねたら

"いやいやしないよ。しても人が来るかわからないし、ほとんど人が集まってなかったら惨めだね…"

自信がないのか、集客の方法がわからないのか、それともサイン会というイベントは版元の仕事で、自分の仕事ではないと思っているのか。その真意は測りかねるが、自著の販売を積極的にやらない作家の存在に驚いたことがあった。

 

そんな切実な出版業界の環境なので、その中で懇親会に色々な方が集まるので、来ていただいた作家さんにとっても、編集者にとっても情報収集と営業も兼ねていたので私たちが懇親会をやっているその意図をちゃんと理解して行動しているのがわかる。

 

問題なのは、その表紙なり本文の挿し絵を描いたイラストレーターが懇親会の意図を全く理解していないということだ。

 

懇親会は呑み食いの場所でも、慰労会でもない。ここにいる人たちは別にあなたのイラストを見たくて集まっているわけではなくて、少なからずお仕事を戴いたのだから作家さんと編集者に感謝と、新しい作家さんや編集者には営業の場と思うのだが何ぶん人が数多く集まってナチュラルハイになって勘違いの舞い上がり方をしている。

自分の展示してあるイラストと食事のあるテーブルとの往復だけで、壁面から離れない者までいて、僅か2時間足らずのボーナスタイムという懇親会の意味を全く何も考えていないのが苛立たしい。

 

まして、この時イラストレーターを通して直接編集部に問い合わせて書籍を買っているわけだから、私がいくら支払っているのかわかっているはずなのに、その支払いは大丈夫なのか?とか、あるいは本来なら当人が気働きして買い付けをしなければならないのに代行しているわけだから、感謝の言葉があったイラストレーターがほとんどいなかった。

 

本来ならイラストを描いた本人が気働きして自己営業する仕事サンプルとして後々のことも考えて揃え、懇親会の集まりで名刺とともに仕事書籍の無料配布しなければならないのに、私の方で仕事の成果として実弾の配布用の書籍を用意したのだ。こうすれば作家は喜ぶし編集者も喜ぶ。それが担当したイラストレーターの次回の保険になると見越していたからだ。

 

別に立て替えて後で精算してくれという話ではない。たった一言の感謝の言葉が足りないのだ。いや足りないと言うより、自分の立ち位置を理解していないためのもっと基本的な何かが欠落しているのかもしれない。

 

結果的にお礼をして来てくれたのは殆どが作家の方だった。こんな事が続くとイラストレーターの存在はいよいよ薄くなっていく。

 

フリーイラストの精度がどんどん上がり、そのうち限られたイラストレーター以外はフリーイラスト素材で充分で、クライアントにすればAI検索すれば一発で解決してしまうわけだから、無駄な原稿料の削減からイラストレーターの需要はますます少なくなるだろう。

 

これからの書籍で生き残る仕事をするイラストレーターは、仕事があったからその成果をSNSでUPするのは当たり前で、どうすれば自分が表紙を飾ったイラストが目立つのか、手にとってもらえるのか。購入につながるのか。

書籍が売れるための導線をイラストレーターも作家と編集部と一緒に考えて売れる心理学や仕組み作りを組み込む時代に入った。

 

そもそもイラストレーターに事業主として、経営者としてのビジネススキルが欠落しているので、クライアントの動き、お金の動きの助言が刺さらなくなり意味がなくなっている。

 

作家が儲からなければ、イラストレーターにも仕事は発生しない。という現実がじっくりと腰を落ち着けてくるだろう。

 

上手いだけではもうイラストは売れないのだ。

しかも作家には印税があっても表紙や本文の挿絵を飾るイラストレーターには印税はないのだ。

つまり、不労所得と労働所得という経済システムの中で印税は不労所得システムに組み込まれているが、イラストレーターは描いたら終わりの労働所得の世界に住んでいる。

 

病気や怪我で寝込んだらそのまま終わってしまうシステムだ。書籍のイラストレーターは何か考えなければ、誰もあなたを必要とはしない。

 

 

 

 

2020年は本来なら日本でオリンピックが開催されるはずだった。

しかしながらブカンウィルスで1年の仮延期となったのはご存知の通り。

 

政府が1年延期を3月20日で決定し、一気にオリンピック気分が遠のいた。

毎日毎日、ウィルイスのニュース、特集、援助金とこれだけでニュースが今も回っている。

 

オリンピックといえば1988年のソウルオリンピックが忘れられない。

競技もさることながら、三冠王を狙う陸上のカールルイスと世界最速を誇るベンジョンソンが一騎討ちするというビッグイベントになっていた。

 

結果は皆様ご存知のように世界最速の記録を叩き出したベンジョンソンは、ドーピング検査で3日目には筋肉強化剤を注射したことがバレて、金メダルを剥奪された。

 

私が印象に残ったのはこの陸上選手の競争よりも、カールルイスのビジネスセンスだった。

 

オリンピックに参加する選手にとって、ベンジョンソンも含めて、自分を高く、最高値で世界で買ってもらうための広告としてトップを狙っていた。

 

ところが、カールルイスは見ている視点が全く違っていた。

個人としては競技で最高のタイムを叩き出して、金メダルを狙うのはアスリートとして普通だったが、彼は金メダルを選手として寿命が来たときの後々まで考えて、いかにして効果的に金メダルを全世界に告知するかを考えていた。

 

つまり、引退後のスポーツ関係の会社経営を考えていた。

 

オリンピック選手の肉体寿命は永遠ではない。いつまでも続けていられるわけではないのだ。

我々が思っている以上に肉体と気力の旬は過ぎてしまう。

これはプロ野球やプロサッカー、相撲でも同じことがいえる。

 

彼にとってオリンピックは自分の会社の広告宣伝の場所であり、ニュースにしてもらうために陸上競技の三冠王を目指し、結果的に獲得した。

 

このことを知ったのはだいぶ後の話で、「あの人は今」の懐かしい有名人を訪ねる番組で、カールルイスはスポーツ関係の経営者として金メダリストのブランドを大いに営業に使って会社を大きくしていた姿が出ていた。

 

一方のベンジョンソンは日本のバラエティー番組に出た時に、まだ陸上選手の看板を使い回して芸人になっていた。

ある種の痛ましさがそこにはあった。

 

肉体強化の職人として、鍛え上げられるだけ鍛えた世界最速の男ベンジョンソンと、ビジネスでシステムを構築して運営しているカールルイスの二人の歩んだ考え方の違いを如実に見ることができた。

 

日本ではアイススケートの清水宏保が引退後、アスリートのための施設運営をしており、引退したオリンピック選手の雇用をしながら会社運営した姿があった。

 

カールルイスが目指していた姿が日本にもあった。

もっとこういった視点に着目すべきだと思う。

 

体が資本の仕事には必ず終わりが来る。

わかっていても現実を受け入れられないので金銭感覚が麻痺したまま老後に突入してしまう。

 

準備ができないわけではない。自分の手で目隠ししてしまっているだけなのだ。現実はあなたの都合を考えずに日々進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クライアントより注文があって、それに応じた解決策を提示する。

その時、クライアントに選択肢を与えられる提案だと、次の仕事も営業をしないで継続して繋がる可能性は高い。

 

クライアントの注文に応える。ここまでは普通にどこの業種業界でも起きることだ。

ただ、普通に一つの質問に一つしか答えないのは非常にもったいない。

 

クライアント側からすれば手元の問題処理に対して、あなたに問い合わせてきている。あるいは外注している。

それに対して一つしか返事がなければ、次の質問は基本的にはない。

つまり、注文で言えば次がないということになる。

 

理由はクライアントの抱えている問題処理に対して、自分の考えでも使えないと判断したから第三者、あるいは外注として問い合わせているのに、自分より格下の答えで返事をされたらその人には二度とは問い合わせないし使わないだろう。

クライアントにとって、改めて問い合わせのやりとりするにも時間を奪われるからだ

 

ではどうすれば良いのか。

クライアントに選択肢を与えられるように提案する。これしかない。

2度目の問い合わせは基本的にないからだ。

 

直接の質問や注文に答えるA案を出すのは当たり前で、状況が変わった場合はB案、社会的な波を読んで提案するならC案と

最低でも3案は用意したほうが次の仕事につながり、一つの仕事が営業をして、もっと言えばクライアントがあなたの仕事の新規開拓という営業をしてくれる。

 

昔からある「松」「竹」「梅」路線は不変で応用範囲が広くて使える。

 

 

以前、イラストの仕事で1点物の仕事の依頼が来た。

ここで私は注文に忠実なイラストを1点、それよりもこっちの方がいいのではという提案型のイラストを1点。さらに冒険型のイラストを1点仕上げて納品した。

 

結果どうなったかと言えば、仕事は直接の編集者の判断が入るが、紙面を飾るのでその上司の編集長もイラストの判断に加わっている事が後日わかって、載せていただけるイラストは1点でも、毎回3点は納品するので、結果的にその仕事は2年近く続いた。

 

しかも必ず3点以上を必ず仕上げるので作品としても量が積み上がっていった。

 

 

昔、手塚治虫が投稿の駆け出しの頃、1日に4コマ漫画を3本から5本描いて、一番面白い4コマ漫画作品が選ばれて掲載され、それ以外はボツにしていたという話を読んだ。

1本の4コマ漫画を捻り出すだけでも四苦八苦するのに、更に3本から5本も捻り出すのは乾き切った雑巾の滴を出す以上に苦しい作業になっているのは察して余りある。

その漫画の体力を見込んで手塚治虫に次の連載の仕事が来たそうな。

 

この話を知っていたので、注文の1点を仕上げてその仕事を終わりにしたかったが、踏ん張ってあと2点追加で仕上げていた。

挫けそうになると自分の弱さに引きずられる。

この仕事を通してクライアントや相手に対して選択肢を与える戦略は、結果的にこちらの提案のどれかで決定するので、全体ではコントロール権を握っているということに気づいた。

 

ギブアンドテイクとはよく聞く話ですが、ギブはあくまで目に見える物理的な支払いなので、どうしても惜しいという感情が先に立ってしまう。テイクは回り回って時間がかかるので、利益の導線を読んだ上で自分に帰ってくるものと認識していないとなかなか達観できない考えだなーと認識した。

 

相手にメリットを与えて利益の確保。実によく考えられた戦略だなーと。

イラストレーターを30人集めたグループ展の懇親会イベントで、今までは記録用の写真は自分のデジカメで撮影していた。これをやっておかないと、誰が来たか。参加者の雰囲気。食事の反応。受付の賑わい。会場でのお客様の雰囲気が分からないからだ。

 

もちろん、参加しているイラストレーターに頼んでも、自分の営業とおしゃべりに夢中になるので頼めないのはわかっていた。

それでも記録としての映像はどうしても後日の資料として残して置きたかった。

 

展示会会場に料金的な負担がかかり、記録用のカメラにプロにお願いしたかったが、当時はそんな予算は捻出できなかった。

その時は銀座ライオンのクラッシックホールを借りて、約60人は集まる大所帯の会場でとても自分が撮影しては手が回らないと判断した。

 

事前の準備にバタバタしてしまい仕方なく、不安はあるものの知り合いのイラストレーターにデジタルカメラを渡して、撮影の意図も説明して懇親会の記録係にお願いした。

 

懇親会当日、宴は始まり自分は会場内で追い回しと接待と営業をする。その間、記録係のカメラマンを横目でチラチラ見ているとどうやらボーッとして動いていない。何を撮ったらいいのかわからない様子だったので焦る。

 

目の前のお客様との会話もそこそこに急いで記録係のカメラマンに軽い指示を出して写真を撮ってもらった。

これはアカンと自分でもデジタルカメラを用意していたので、とにかく合間合間に撮影して最低限の写真を120枚くらいは撮影した。

 

懇親会が無事に終了し、記録係のカメラマンをした件のイラストレーターから写真データを受け取ってその枚数を見た時に、その枚数に顔面蒼白になった。彼が撮った写真は全部で50枚とないのである。

「えっ??  これだけ??」

使えなくはないが、あまりにも撮影枚数が足りないので、大切なクライアントとの記録が全くない状態に近かった。

 

この時ケチって知り合いだからと技量も確かめずに仕事を頼むのは危険だと思い知らされた。特に二度目がないやり直しが効かない仕事を頼むときはプロに頼まなければ絶対にダメだと確信した。

 

その後、仕事を頼むサイト「ランサーズ」を知り、そこで初めてプロのカメラマンに懇親会会場の写真を依頼し、予算内で仕事をしてもらった。この時のプロのカメラマンは撮影枚数は修正を加えながら250枚撮影してデータとして提供してくれた。

 

それからおチャラケで外せない懇親会は司会もカメラマンも割高だったけれど、プロに頼むようになった。

何回かお願いするので、こちらの意図も内容も理解した状態で仕事をしてくれるので説明しなくても要領をわかっているので楽になった。

 

今、一般社団法人文人墨客で毎年、書評家の細谷正充氏の「細谷賞」を企画運営しており、尽くプロに依頼し素人は排除する形になっている。

プロの仕事は値段じゃない。こちらの事情を察して理解してくれる安心感だ。

 

彼らに仕事を安心して頼めれば、自分は会場内で追廻しと接待と営業に集中できるので、本当に楽になった。

色々な方々と名刺交換して、お客様同士でマッチングさせ、まずは機会損失が一気に減少したので短い時間での懇親会営業は不安がなくなった。

 

いくら予算がきついからと言って安い素人に仕事を頼むととんでもない結果が待っていることを経験した。

プロは高いなりに高い理由がある。

 

このカメラマンの依頼は本当に"安いは高くついた"経験だった。