20歳を過ぎた頃から、
叔母が結婚前に着ていたという着物を、帰省先の祖父母宅で
お正月に着せてもらっていました。
元日は、朝から近所の美容院へ行き、
叔母が結婚前に着ていた、小紋や訪問着を着付けてもらいました。
帯は、文庫結びやふくら雀、変わり結び。
美容室の方も、
”今年はどんな着物かな?”
”どんな帯結びにしようかな?”
などと、年に一度のことを
楽しみにして下さっていました。
戻ってくると、お正月をし、近所の神社へお参りに行きました。
親戚へ挨拶にいったりして、のんびりとした元日も、夜になります。
着物は着たまま。
おせち料理で夕食を済ませ、
こたつに入って、テレビをみたりして、ゆったり。
人数も多いので、そろそろ誰かお風呂に入り始めます。
私は着物を着たまま、こたつでテレビを観ています。
そのうち、着物を着たまま、こたつで寝転び始めます。
まだ、お風呂には入りません。
”最後まで入らない” のは、元日のお風呂です。
だって、着物を脱ぐのが惜しいから。
きれいに着物を着せてもらって、
帯結びも気に入ってて、
着てて苦しいとも感じず、
何より、脱いだら自分で復旧できない着付け!
(当時は自分で着られない上に、帯は変わり結び)
この状態を崩してしまうなんて、
”惜しい” という以外に言いようがなかったです!
今考えると、”脱ぐのが惜しい”という感覚は、
”自分では着られない” からだったと思います。
先日、着物の話をしていて、
「いや、とにかく着物は窮屈でしょ。
結婚式とか、必要な時間は着てるけど、用事が終わったらすぐ脱ぎたい」
と言われ、”脱ぐのが惜しい” 感覚は珍しいことなのかな?と考えました。
(それまでは、このことについて考えたこともありませんでした)
というワケで、お正月は、お風呂に入るのは一番最後。
後は寝るだけ、って時になってからでした。
ちなみに今、普段着ている着物(紬)では、この感覚はありません。