96年に母校にお願いして教育実習をすることに。

この時、きちんとした手続きを踏まなかったので担当の先生から思いっきり叱られたがもともと優しい先生だったのだろう、きちんと受け入れてくれた。

 

教育実習は英語力はほとんど関係なく生徒のレベルにあった、教科書と文部省からの教えるべきことをしっかり生徒に伝えるということが重要だった。これはこれでとても勉強になった。怒らせた担当の先生とは意気投合して素晴らしい2週間だった。

 

今では覚えてないが、1996年にロシアに行って帰ってきた頃教員採用試験を受けたと思う。

 

その後、66講師というのを97年に応募しておいた。

 

丁度、96年には卒業はしなかったが中高英語の教員免許がやっと取れて、両親、特に父親には感謝の気持ちと、どう約束通り取得したよこれから見ててねという感情が湧いてきてとても嬉しかった。

 

97年に入り何となくこのまま体操を教えたままの状態でいるのが似つかわしくなってきていた。

 

そうしたら3月末に突然中学の校長から連絡があり、今すぐ来いと言われた。

何が何だか分からなく行って見たら、何で挨拶に来ないんだと言われたり、よくよく話してみると市の教育委員会とのコミュニケーションミスで3日後から66講師で中学で教えることになった。

 

突然なのことでどうやって体操を教えるのと両立させていこうなんて考えているうちに周りから、そりゃあ辞めて学校一筋でしょうと言われた。

 

その日に今までお世話になったコーチに挨拶して辞めた。

恐らくコーチはビックリしただろう。

 

こういう経緯で

初めての公立中学校の教師をすることに。

 

これを振り返ると一生懸命なりたいなりたいじゃなく、あれ?って感じでなっちゃった。