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昨日のブエルタの中継の時にツイッターの質問で

「なぜグランツールはイタリア、フランスとスペインで開催されていて

大国のイギリスやドイツではないのか?」

というのが来まして、

そういえばなんでだろうと今まで考えたこともなく

放送ではなんとなく答えたのですが

気になって改めて考えてみました。

まずは歴史のおさらいからと思い、

19世紀と20世紀のヨーロッパの

グランツール3カ国と

質問のイギリスとドイツの

歴史を大まかにまとめて

わかりやすいように日本の歴史も添えました。

(上の手書きの歴史図の画像です)

文字が小さく見にくいですが(すみません)

1888年に空気入り自転車タイヤが発明されてから

レースが本格的に増えていき

その4年後1892年には最古のクラシックレース

リエージュ・バストーニュ・リエージュが始まっています

そしてさらに1896年にパリ・ルーベが始まり

同じ年に近代オリンピックが始まり自転車競技も行われました。

そして1900年にはUCIが設立されました

Wikipediaによれば

UCIは1900年4月14日に、パリでベルギー・アメリカ合衆国・フランス・イタリア・スイスの自転車競技団体が合同して設立された。」

だそうで、それまでのイギリスを中心としたICAに代わって

自転車競技をまとめることになったようです。

これがイギリスにグランツールが作られなかった大きな原因かもしれませんね。

そしてUCIの設立参加国のなかでアメリカは

ヨーロッパから離れていたですし、当時はまだ途上国だったので

大国として国を一周できる規模の大会を開催できたのは

フランスとイタリアということになります。

そして1903年最初のグランツール

ツールドフランスが初開催されるわけですが、

この大会を主催したのが新聞のロト紙

売り上げが落ちていて業界首位ではなかったロト紙は

新聞の売り上げ増加を狙ってツールを開催。

それが可能だったのも共和制の民主主義が

その時代から根付いていたフランスだったからこそかもしれません。

そしてこのツールの成功をみて真似たのが

イタリアのガゼッタデラスポルト紙

この時期のイタリアは王国でしたが、リベラル政権が実権を握っていたので

おそらくスポーツをする雰囲気や

自由に新聞を発行する風土があったのだと思います。

一方のドイツは当時帝政時代であり

民主主義が根付いたとはいえず

ロト紙を真似る新聞社が存在していなかった可能性もあります

更にドイツ帝国がプロイセンなどの王国の連合という

性格が強かったので、自転車で一周するというのは

国のあり方に似合わなかったのかもしれません。

またドイツは南部のアルプス地域以外

平坦な場所が多く、山岳争いを主とする

グランツールを開催するにはあまり向いてない

国土だというのも根本的にあるかもしれません。

そしてブエルタが始まったのがすこし遅れて1935年。

ここで注目したいのが、その時代のスペインの政治。

王国が廃止され共和政に移行して4年後だということ。

つまり民主主義になって4年で

やはりツールとジロの成功をみて

スペインのインフォルマシオネス紙が

新聞の売り上げ増加を狙って始めた大会なんですね。

その他の理由も様々あるでしょうし、

タイミングもあったと思いますが

歴史と重ねてみるとグランツールが

今の形に落ち着いた理由が見えてきて

なかなか面白いです。

・スポーツ楽しめる平和な世の中、

・それを伝えられる自由なメディアがあること

この2つがとても大事だったことがわかりました。

改めて平和とは素晴らしいことだと気づかされる結果になりました。

これからも末永くスポーツ楽しめる世の中が続くことを願って…


ところで、身近な資料を参考に書いたブログ記事なので

もし間違ってたら是非ご指摘ください!

そして昨日ブエルタに質問を送っていただいた方

ありがとうございました!