401 「インサイド・ヘッド」  かなしみなくしてよろこびなし | ササポンのブログ

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映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます


もう誰もが言っていることを
ここでいうのも気が引ける
でも、いう

何のことかは見た人なら
わかるだろう

本編が始まる前の
あれ・・である

配給会社がやる
どうしようもない、
バカは数ある

クソみたいな邦題
見当はずれなお笑い芸人による宣伝

ただ
それらは、いざ、映画館に入って
見始めれば忘れる
どうでもいい

しかしだ
今回のバカは映画館の中にも
侵食してきたのだ

どうでもいい他人の家族写真を
ドリカムの歌に乗せて見せられる
それも
1曲、丸々聞かされるのだ
とにかく
映画が、
始まらない。

もし
予告編が終わってさあ、始まると思ってから
延々、見たくないものを
見せられるのだ

これを
拷問といわずして
なんという?

だから
もう誰もが文句言ってる訳
おそらく
ドリカムのファンが一番、悲しむ
つまり
こんなことやって、誰得なわけ?

僕はもう「時計仕掛けのオレンジ」状態
あのドリカムの曲聴くと
吐き気がします

思わず
床に叩きながら
「ドリカムは悪い人じゃないんだ!!」と
叫びながら
窓から飛び降りたくなります




さて
本編ですが
完璧です

こういってしまえば
終わっちゃいますが
もう
それ以外、いいようがない

でも
完璧という言葉が持つ
冷たさとか、
きっちりしていると
そういう感じがない

もちろん
神経質のほど細かいところまで
きっちりしている
でも
きっちりしてるようには見えない
暖かさ

ピクサー映画で、
トップレベルの映画はみんな同じだ

暖かな完璧映画

SFやフャンタジーが出来る
本当に優れた点は
論文にしたら分厚い本1冊でも
説明が出来ない
難しい世界を
一枚の絵で
見せてしまう

訳のわからない用語と
複雑怪奇な構造図に満ちた
脳と記憶と感情の関連性を
誰にもわかるように見せてしまう

それも
1級の娯楽として



少し前に公開された
ノー内なんとかいう日本映画と比べれば
その志の違いがわかる

おんなじ世界を描きながら
一方は、同世代の女性しか見れない
おっさんは、とてもじゃないが共感できない

ところが
インサイドヘッドは
嗚咽をとめるのが大変
横に5歳の子がいなければ
泣きまくっていた
でも
映画があるシーンに来たら
5歳の女の子も泣いていた
50過ぎのおっさんが並んで泣いている

世界を視野に入れた本気は
本当に強烈です

これは
アニメです
すべてを0から作らなくてはならない
当たり前のことを言っているようですが
これはマジで大変です

それも
現存する街だけが舞台ではありません
ほとんどの舞台が、
少女の頭の中
そこにいるのは
少女の感情
ヨロコビ、カナシミ、など5人
そのキャラを作るだけでも大変

さらに
そこには記憶がまんさい
記憶もいろいろある

どうでもいい記憶から
大切な記憶

さらに
少女の大切なモノが建物として表現されている

友達世界
両親世界
そして
おどけ世界

引っ越して、憂鬱になった少女
父親が猿のまねをしておどける
いつもなら少女も同じように真似て
笑いあう

でも
少女は反応しない
無視してしまう
別に父親のことを嫌いになったわけじゃないのに
でも、
おどけることは出来ない

脳の中のおどけの世界が崩れ落ちる

それを見ている女性は、
あの日のことを思い出す
なぜか意味もなく両親をうっとうしく
思い始めてしまったあの日

父と母も思い出す
いきなり無愛想になってしまった娘のことを

これだけで
大人も子供も
若い女性も
老人も
心に突き刺さる
感情が揺さぶられる

こんなのは、
数ある細かい設定のひとつ
こんな優れた設定が
もう秒刻みで詰め込まれている
何回見ても
気がつきがあり
感動がある



ほめるところを文章にして説明するのが
難しい場合はよくある

しかし
ほめるところが多すぎて
疲れる映画も珍しい

とてもじゃないが
こんなブログでは紹介しきれない

ほんと
元来、映画についての文章など
なくてもいい

見ればいいし
見て素晴らしさわからないなら
こんな文章を読んでもわからない
まあ、ぶちゃけついでに暴言を吐けば
この映画を見て
「まあ、おもしろいんじゃね」とか
「まあまあだね」とかいう人の感受性を
僕は疑う
そんな人がいたら
僕は「あ、そうですか」といい
時計を見ながら
「そろそろ時間だから。じゃ、また」といいながら
そいつとは2度と会わない

いままで
僕が見た映画の中でも
ここまで
全方向にやさしく、面白く、泣ける映画を
見たことがない

特に一番たまらないのが
子供と日々対峙し、よろこび、かなしみ、怒り、いらいらしている
親だろう

つまりは
この映画の登場人物である
少女の脳内に存在する
いまを生きる少女を客観視して
感情をそして記憶を作り出している彼らは
子供の成長を見守り
幸せを願い
健康を思う
親の気持ちでもあるのだ

わかっている
いつの日か
この子は自分から離れて
自分の見えないところで
傷つき、かなしみ
そしてよろこぶ

わかっている
なぜなら
自分も同じように
親を離れ
世間を知ったから

でも
いま、可能であるなら
少女の感情を守り
擁護してあげたい




そういう観点からいえば
注目すべきは
かなしみ、の存在だ

完全なるネガティブな存在である
かなしみを
遠ざけたい気持ちはある

でも
人生には
かなしみを知ったからこそ
わかるよろこびがある

よろこびがより輝くためには
かなしみも必要

でも、
親としては
出来る限り
子供をかなしみから遠ざけたい

その葛藤が描かれる
5歳の子でも楽しめるアニメの中にだ

とにかく
何回でも見てください
何度でも、
何歳になっても
感情揺さぶられる
なにかが
詰まってます

つまりは
これはもう永遠の名作というやつです