388「フューリー」戦車の長は、若者に無理やり殺しをさせた | ササポンのブログ

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ひとを観ていないものを観ます


いつからなんだろう?
戦争を否定するのに
理由がいるようになったのは?

ひととひとが
殺しあうのを
否定するのに
屁理屈がいるようになったのは?

あいつが殺るから
おれも
殺る

いつからなんだろう?

国家が、
餓鬼の喧嘩のレベルで、
殺しを強要するようになったのは?





物語は、よくある類のものだ。

純真な青年が戦場の現実を見て、
たくましくなる。

何度も書いているが
新人が入ってくるという設定の効果は
観客に対してその世界に
入りやすく
わかりやすくする

刑事ものでは、
もう
定番だ。
この映画の監督デヴィッド・エアーが脚本を書いた
「トレーニングデイ」もこのパターンだ。

つまりは
この映画、物語的には
新鮮味はない。

と、いうかもう
戦争映画に新鮮な物語などない

大体は映画、
そして「コンバット」でやりつくしてしまった。

この映画だって、
「コンバット」のリメイク。
ブラッド・ピットの役名が
サンダース軍曹でも通用する。

つまりは
この映画、物語りたいわけでも、
役者を見せたいわけでも
ましてや
泣かせたいわけではない

この映画が見せたいのは
戦場。

ここは戦場・・。
だから殺しあっている。
だから
怖い・・。

それだけ



とにかく
この映画の戦闘シーンはすさまじい。
僕も
それなりに戦争映画は観ているし
「プライベートライアン」も劇場で観ているが
この映画ぐらい
椅子で、何度ものけ反ったことはない

見た人ならわかると思うが、
もう
マジで飛んでくるのだ。
砲弾が

3Dじゃないのに

ズスン!と来るのだ。

「少林サッカー」をみうらじゅん氏は
正しくCGを使った映画と言ったが、
この映画もまったくその言葉が当てはまる。

CG技術のすべてが
監督にとっては
画面に戦場を再現するためのものでしかない。

それはみごとに正しいCGの使い方だ。

もしかしたら
この映画に関して
戦車の話をするひとにたいして
「この映画は別に戦車を描きたかったわけじゃない。
もっと深いテーマがある」というひともいるかもしれない

違うのだ

これは見事に戦車の映画なのだ。

もっと詳しくいえば、
武器としての戦車
人殺しマシーンとしての戦車





狭い戦車の中で、
兵士たちは家族のようになると監督はいっている。

もともと
戦場における小隊は、
家族のようなものだが、
狭くてお互いの身体が触れあう
戦車の中では
その気持ちは強くなる。

その家族の長が、
息子に命じるのは
殺しである

この映画でもまず
殺しを強要する

敵を殺せと強要する

嫌だと叫ぶ息子の手に
銃を握らせて
ひとを殺させる

なぜなら
ここは戦場だから
これは戦争だから

教えてくれないか
誰か

なぜ
ひゃくたなおきのような男が
愛を語り
それを
君たちは聞いているんだ?

なぜ、
若者に銃を持たせて
人間を殺せといっている人間が
この国の長なんだ。

本気で、真剣に
僕は問う

君は自分の息子に
無理やり銃を持たせて
人殺しをさせたいのか?