382 「猿の惑星 新世紀ライジング」旧作の精神を継続しながら遥かなる高みに到達したリメイク | ササポンのブログ

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予感はあった。
しかし、その予感は冒頭15分で、
大きく上書きされた。
完全に、
予感を超えた傑作だった。

それどころか
冒頭15分で、
あの傑作のテーマに迫ると
宣言した。

「2001年宇宙の旅」

それは冒頭15分、
猿しか出てこないということだけではない。

この新しい「猿の惑星」映画は、
あの映画が、
提示した哲学に挑んだのだ。

誰もが楽しめる
娯楽映画で。

2001年のあの、あまりにも有名なシーン。
敵対する猿を、
徹底的に叩きのめした骨を
宙に投げると
文明の極みである宇宙船になる・・。

つまりは
人間の文明は
暴力によって発展する。

一部のSF作家や学者を
激怒させた
あまりにも短絡的な文明論。

しかし
それはその後の歴史が
証明し続ける・・。

猿は、猿をけして殺さない

オリジナルでも
提示されたこの誓いが
この作品では
なんども繰り返される。

それは、
猿は人間よりも優れた生物だと
信じている,
この映画の主人公、猿のシーザーの誓いでもある。

そう。
この映画の主人公は、
シーザーだ。
どんなに賢く、魅力的な人間が出てきても
シーザーにはかなわない。

なぜなら、
彼は、
これから歴史を作る存在だから。
悩み苦しみながら、
世界を作る存在。

これほど
魅力的なキャラはない。
そして、
人間は滅びゆく存在なのだ。




物凄く
象徴的な1シーンがある。

生き残った人間が、
ライフルをぶっ放して憂さ晴らしをしていた。

そこに猿が来た。

人間は最初、
驚いてライフルを向けた。
しかし、
そこで猿は・・猿の真似をした。
おどけて、踊って、
キャキャと猿の鳴きまねをしたのだ。
人間は、
安心してバカにして笑った。

そして、
面白がってライフルを渡した。

その瞬間、
猿はライフルを構えて、
人間を撃ち殺した。

まるで
アメリカ人が、
テロリストに
自らを撃ち殺す武器を渡していたように、・・。



物語の、
あまりにも皮肉な展開に
言葉がなくなる。

シーザーの理想を裏切るのは
彼の次に知性の発達したコバである。

その脳裏から、
自分たちを檻に閉じ込めて、
虐待した、人間への憎しみが消えない。

だから、
人間を信じない。

人間も、
猿を猿としか見ることができない。
そこに独自の、
自分と同等の生活があるとは思えない。

起こる悲劇は、
もういまを生きる僕らにはお馴染みな、
人種の対立だ。

シーザーの悲しそうにつぶやく
「猿は人間より優れていると思っていた。
でも、猿も人間も変わらない・・」

どこまでいっても
孤独なシーザーの戦い

それは
この世を作ったといわれている、
神の苦悩でもある。

進化の果ては、
やはり暴力なのか?

壮大なテーマを孕みながら
シリーズは続く

あくまでも
娯楽映画として