369 「ラッシュ」燃え尽きたよ。真っ白に・・。 | ササポンのブログ

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見るつもりはまったく
なかった。

まず
F1に興味なし。
最近のロンハワードの作品、いまいち。

さらに
以前に、書いた
レースと映画の相性の悪さ。

それらの要素が重なって
もう絶対に見る要素なし。

でも、
映画評論家の町山氏の話を聞いて、
この映画が
あるマンガに似ているかもしれないと思った。
そのことはのちに記すとして
まずは
この写真を。



この写真が誰かわかる人は
かなりの映画通。
それもかなりオールドな。



特殊メイクではありません。
すべて同じ人物。
ロンハワードです。

いまの人は
監督としてのロンハワードを認知しているかもしれないけど
僕は、
やっぱり役者としての、彼を見てしまう。

「アメリカングラフィティ」のロンハワードを。

でも、
この人のデビュー作を見たときは
驚いた





「バニシングIN TURBO」
この映画の製作は、ロジャー・こーまん。
あの今や、誰もがひれ伏す大巨匠さまの、ジェームズ・きゃめろんさまに、
くだらないB級映画を撮らせてしまった罪で、
いまだに監獄にぶち込まれている、
かわいそうな、こーまんさん。
この方の製作にかかったら、
あのコッポラすら、
なんだかな・・な映画を撮らされるこーまん製作の映画なのに
この「バニシングIN TURBO」
おもろいんですわ。
傑作なんですわ。

娯楽として
ほんと
ちゃんとしていて、
きゃめろんさまの作品より
数万倍、うまいんだわ、これが
機会があったら
見てほしいです

さて、
この、バニシングIN TURBOと
ラッシュの共通点は、
ずばり
カークラッシュです



「ラッシュ」と似ているマンガ。
それはもちろんレースマンガではない。
確かにレースシーンの迫力は
かなりにものだが、
それがメインの映画ではない。

死を伴う命がけの世界で
冷静な頭脳と知識によって勝ち続けるニキ・ラウダ。
野生の勘と反射神経で駆け抜けるジェームス・ハント

冷静と野生のぶつかり合い

まるで
ホセ・メンドーサと矢吹丈。
あしたのジョーだ。

ふたりの天才が、
ふたりだけにしかわからない世界で
戦い続ける

僕はこういう設定が
大好きだ。
この手の対決の構図があるだけで、
わくわくしてしまう





ともすれば、
よくあるライバル映画に陥りがちな
設定だが
この映画は絶妙なバランスを取っている。

この手のライバル物語は、
どちらかを、ストイックに、清廉に描き
どちらかを、欲まみれの俗物に描く

そうしたほうが
わかりやすいからだ。

この映画も表面はそのわかりやすさを
活用している

5000人の女と関係したと豪語するジェームズ・ハント
妻を最高の女として生きるニキ・ラウダ。

奔放で自由な本能で戦うハント
冷静な計算で戦うラウダ。

すべてが対照的なふたりをそのまま描けば
どうしてもラウダが良く見える。

ハントも魅力的ではあるが
女にだらしない男が観客の共感を得るのは難しい。
もしジョーが、
女を抱きまくっていたらあれほど共感を呼び覚ますヒーローに
なりえたか?


ただ、対するラウダも、単純なストイック男とは
描いてはいない

どちらかといえば
融通の利かない
頑固で、
嫌われ者だった一面を
ちゃんと描く。

レース会場においても、
ラウダの融通のきかないところや
生意気なところが、
控え目ながら描かれる

反対に
ハントの真面目な人間的な
真摯な部分も描かれる。

絶妙なバランスで
ふたりを描いているので、
最後の決戦が
どんな結果になろうと
観客は納得する。

もともと
レースの結果はわかっているので
そこに物語の頂点をもっていかなかったことも
成功の要因だった。

あしたのジョーも
ロッキーも
最後はどちらが勝とうがどうでもいい。
最後まで戦えればいいと思えた。

レース映画もそこまで物語を進められれば
傑作となりえる。

劣悪な条件のデビュー作ですら
娯楽の標準をクリアーしていた
ロンハワードの見事なバランス感覚だろう。
まあ、それが時には欠点にもなるが。