352「野田版 研辰の討たれ」 | ササポンのブログ

ササポンのブログ

映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます



$ササポンのブログ


それは
事件だった
野田秀樹が、
歌舞伎役者だけを使って
歌舞伎座で
歌舞伎を上演する

うわさが上がった当時
恐らく
実現しないだろう・・と
思った

とても
無理だろう・・と

閉鎖的の局地の歌舞伎世界で
余所者
野田秀樹の演出を
受け入れるわけがない

それも
歌舞伎座で・・

告知をされても
疑心暗鬼・・・
それが
現実に実現するとなった途端
別の心配が・・・

チケットとれるか?

当時、
野田秀樹も、
中村勘三郎(当時勘九郎)も
全盛期

チケットがとれない双璧だった

ただ
そこは歌舞伎座
広い、そして1か月公演
僕はいつもの三階席に席を取った。



ササポンのブログ


赤穂浪士討ち入りのニュースは、
江戸から離れたここ近江の国、粟津藩にも伝えられ、
剣術の道場はその話題で持ちきりです。
しかし一人だけ、
赤穂浪士を馬鹿にする人物がいました、
もと町人、研屋あがりの守山辰次です。
仇討ちなんて馬鹿馬鹿しい、
武士といえども潔い死を望まない武士もいる筈だと言い出す辰次を、
家老の平井市郎右衛門が叱り付けました。

すると現実的で抜け目ない辰次は
すぐに態度を変え、
剣術に優れた市郎右衛門に剣術を学びたいと
お追従を言う始末。
主君の奥方、萩の江の前で、
市郎右衛門に散々に打ち据えられて、

辰次は仕返しに一計を案じますが・・・



卑劣で、小賢しい
しかし
愛嬌があって
どこか憎めない

もう
勘三郎の独壇場のような
このキャラ

この戯曲、
歌舞伎の専門家でもほとんど上演された
記憶がないほど
マイナー

しかし
この戯曲を、
選んだ勘三郎も、野田秀樹も
このキャラをできるのは
世界一、うまく演じられるのは
勘三郎だけと思ったのだろう
その思惑は見事に当たった



ササポンのブログ


この演劇をみた
当時、
人絶絶頂だった劇団新感線の演出家、いのうえひでのりは
観終わって、
あまりのショックと、悔しさに
野田秀樹に挨拶せずに帰った・・・


脇でろくにセリフもない役者まで
役者として給料をもらい
役者の訓練をしている
本物の役者軍団、歌舞伎

その集団が、
野田秀樹という天才の言うとおりに
歌い踊り、泣き叫び、ボケる
暴れる

その迫力、甘美に
所詮は素人の、役者をなんとか動かして、
動的な舞台を作っていた
いのうえひでのりにとって
それは
すべてにおいて
理想、憧れ、目的の
舞台だったのだ



$ササポンのブログ


文化の、その継続と蓄積は
そこに係ったひと
それを観た人にしかわからない
だから
文楽の素晴らしさを
橋本某に分からせようとしても
無駄だ

だから
出来るだけ観ておいてほしい
歌舞伎でも、文楽でも、落語でも

観たことだけがすべてであり
貴方が観たことは
貴方にとっての真実

「肉体の芸術ってつらいね。
そのすべてが消えちゃうんだもの。
本当に寂しい。つらいよ。
恐らく
勘三郎と一番、一緒に踊った坂東三津五郎が
絞り出すように言った言葉が、
胸に突き刺さる

最後に
戦友野田秀樹の弔辞の言葉です
「見てごらん、君の目の前にいる人たちを。
列をなし、君にお別れを言いに来てくれている人たちを。
君はこれほど多くの人に愛されていた。
そして今日、これほど多くの人を残して、
さっさと去ってしまう。残された僕たちは、
これから長い時間をかけて、
君の死を、
中村勘三郎の死を、超えていかなくてはいけない。

 いつだってそうだ。生き残った者は死者を超えていく。
そのことで生き続ける。
分かってはいる。
けれども、今の僕にそれが出来るだろうか。
君の死は、僕を子どもに戻してしまった。
これから僕は、君の死とともにずっとずっと生き続ける気がする。
芝居の台本を書いているときも、
桜の木の下で花を見ているときも、
稽古場でくつろいでいるときも。
落ち葉がハラハラと一葉舞うとき、
舞台初日の本番前の袖でも、
ふとしたはずみで、必ずや君を思い出し続けるだろう。

たとえば君が僕に初めて歌舞伎の本を書かせてくれた
「研辰(とぎたつ)の討たれ」という狂言の初日を。
歌舞伎座の君の楽屋で、
出番寸前に突然2人で不安になった。
もしかして観客から総スカンを受けるのではないか。
つい5分前までは、そんなこと、まったく思いもしなかったのに。
君が「じゃあ舞台に行ってくるよ」、
そう言った瞬間、君と僕は半分涙目になり、
「大丈夫だよな」
「大丈夫。ここまで来たんだ。もうどうなっても」。
どちらからともなく同じ気持ちになりながら、
そして君は言った。「戦場に赴く気持ちだよ」

 やがて芝居が終わり、
歌舞伎座始まって以来のスタンディングオベーションに僕たちが有頂天となり、
君の楽屋に戻り、夢から覚め、
しばし冷静になり、
「良かった。本当に良かった」と抱き合い、君は言った。
「戦友って、こういう気分だろうな」

 そうだった。
僕らは戦友だった。
いつも何かに向かって戦って、
だからこそ時には心が折れそうなとき、
必ず「大丈夫だ」と励まし合ってきた。
君が演じる姿が、どれほど僕の心の支えになっただろう。
それは僕だけではない。君を慕う、あるいは親友と思う、
すべての君の周りにいる人々が、
どれだけ君のみなぎるパワーに、
君の屈託のない明るさに、
時に明るさなどというものを通り越した無法な明るさに、
どれだけ助けられただろう。

 君の中には、古きよきものと、
挑むべき新しいものとがいつも同居していた。
型破りな君にばかり目が行ってしまうけれど、
君は型破りをする以前の古典の型を心得ていたし、
歌舞伎を心底愛し、行く末を案じていた。
とにかく勉強家で、人はただ簡単に君を天才と呼ぶけれど、
いつも楽屋で本から雑誌、資料を読み込んで、
ありとあらゆる劇場に足を運び、
吸収できるものならばどこからでも吸収し、
そうやって作り上げてきた天才だった。

 だから、役者・中村勘三郎、
君の中には芝居の神髄というものがぎっしりと詰まっていた。
それが、君の死とともにすべて跡形もなく消え去り、それが悔しい。
君のような者は残るだろうが、それは君ではない。
誰も君のようには、二度とやれない。

 君ほど愛された役者を、
僕は知らない。誰もが舞台上の君を好きだった。
そして舞台から下りてきた君を好きだった。
こめかみに血管を浮かび上がらせ、憤る君の姿さえ、
誰もが大好きだった。
君の怒りはいつも、
ひどいことをする人間にだけ向けられていた。
何に対しても君は真摯(しんし)で、誰に対しても本当に思いやりがあった。

 そしていつも芝居のことばかり考えて、
夜中でもへっちゃらで電話をかけてきた。
「あの、あれ、どう?、絶対に頼むよ、絶対だよ」とか、
主語も目的語もない、
訳の分からない言葉で、こちらを起こすだけ起こして切ってしまう。
電話を切られた後、いつもこちら側には君の情熱だけが残る。
僕の手元に残していった君の情熱を、
これからどうすればいいのだろう。
途方に暮れてしまう。

 君はせっかちだった。エレベーターが降りてくるのを待てなくて、ドアを両手でこじ開けようとする姿を、僕は目撃したことがある。勘三郎、そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ。待ちきれずエレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去っていく。

 お前に安らかになんか眠ってほしくない。まだこの世をうろうろしていてくれ。化けて出てきてくれ。そしてばったり俺を驚かせてくれ。君の死はそんな理不尽な願いを抱かせる。君の死は、僕を子どもに戻してしまう。

 「研辰の討たれ」の最後の場面、君はハラハラと落ちるひとひらの紅葉を胸に置いたまま、「生きてえなあ、生きてえなあ」、そう言って死んでいった。けれどもあれは虚構の死だ、うその死だった。作家はいつも虚構の死をもてあそぶ仕事だ。だから死を真正面から見つめなくてはいけない。だが今はまだ、君の死を、君の不在を、真っ正面から見ることなど出来ない。子どもに戻ってしまった作家など、作家として失格だ。

 でも、それでいい。僕は君とともに暮らした作家である前に、君の友達だった。親友だ、盟友だ、戦友だ。戦友にあきらめなどつくはずがない。どうか、どうか安らかなんかに眠ってくれるな。この世のどこかをせかせかと、まだうろうろしていてくれ。


ササポンのブログ