
もし
どうして人は
生き続けなくてはいけないの?・・と
ある日
子供に問われたら
ママはどうして生きてるの?・・と
問われて・・答えられる大人はいるだろうか?
「あなたがいるからよ」と答えたら
娘は聞き返す
「じゃ、わたしが死んだら、
ママも死ぬ?」
絶望は
芸術の力の根源だ
どう否定しようもない
東北震災後、
どれだけの、過去の、もう創作をやめてしまった
芸術家が
息を吹き返したか
ベトナム戦争が
911が
どれほどの傑作を生んだか
それは
もう
否定しようがない
それは
創作が感情が生み出すものだから
心が歓喜の悲鳴を上げなければ
なにも
生まれない
「お前たちはいい子供だ。
けれどもいい子供だというだけではなんにもならん。
わしといっしょについておいで。
もっとも男の子は強いし、
わしも二人はつれて行けない。
おい女の子、
おまえはここにいてももうたべるものがないんだ。
おじさんといっしょに町へ行こう。
毎日パンを食べさしてやるよ。」
そしてぷいっとネリを抱きあげて、せなかの籠へ入れて、そのまま、
「おおほいほい。おおほいほい。」とどなりながら、
風のように家を出て行きました。
ネリはおもてではじめてわっと泣き出し、
ブドリは、
「どろぼう、どろぼう。」と
泣きながら叫んで追いかけましたが、
男はもう森の横を通ってずうっと向こうの草原を走っていて、
そこからネリの泣き声が、
かすかにふるえて聞こえるだけでした。
ブドリは、
泣いてどなって森のはずれまで追いかけて行きましたが、
とうとう疲れてばったり倒れてしまいました
「グスコーブドリの伝記」本文より
宮沢賢治は
妹トシの病死後、
その喪失感が抜けず
それは
作品に大きな影を落とし続けた
彼の作品に接していると
結局その喪失から
生涯抜けられない
諦めの絶望感が
染み出てくる
それは
誰もがいきていれば感じる
問いでもある
どうして
人は生き、死ぬのか
まったく
他人であるところの
杉井ギサブローの手による
この映画にも
その喪失感は、にじみ出て
観ている
観客の心を浸す
なぜ人は生き、死ぬのか?
それは
答えのない問いです
そんなことは
誰にだってわかっている
わかっていても問わずにいられない
その思いがどれほどの名作、傑作を生みだしたか
しかし
生み出した本人から
哀しみは消えない
消えることはない・・・
杉井ギサブローが、手がけた
「銀河鉄道の夜」のジョバン二も
この映画のブドリも
淡々としている
妹のネリ、友だちのカンパネルラの喪失の瞬間以外は
どんなに苦しいこと、辛いことがあっても
淡々と、
ただ
淡々と
自分のすべきことを
こなしている
彼らの瞳は
答えを待っている
けして
答えのない問いかけの答えを
なぜ人は生き、死ぬのか?
幼くして死んだ少女
意味もなく苛められ、自殺した少年
彼らの
親は、肉親は問う
どうして
わたしたちに彼らを、生み育てさせたのですか?
どうして
こんなに幼くして彼らを・・・どこに連れて行ったのですか?
こことは違う、どこに?
僕は
この映画のラストに行くにつれて
涙が止まらなくなった
「自己犠牲を描きたいのではなかった」
杉井ギサブロー監督はいう
「ブドリが一番求めたのは家族4人で過ごした子供時代、
その平和な時間を守りたいということですよね?」
そしてその次の日、
イーハトーヴの人たちは、
青ぞらが緑いろに濁り、
日や月が銅あかがねいろになったのを見ました。
けれどもそれから三四日たちますと、
気候はぐんぐん暖かくなってきて、
その秋はほぼ普通の作柄になりました。
そしてちょうど、
このお話のはじまりのようになるはずの、
たくさんのブドリのおとうさんやおかあさんは、
たくさんのブドリやネリといっしょに、
その冬を暖かいたべものと、
明るい薪たきぎで楽しく暮らすことができたのでした。
「グスコーブドリの伝記」より
考えるのはやめましょう
どうせ
答えなどないのだから
ただ
いま
隣で眠るわが子を
ただ
幸せであれと