「誰を」ではなく「誰から」の凄み | ササポンのブログ

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「誰から先に抱きしめればいい?」


むかし
「つか版 忠臣蔵」というドラマで
芭蕉の辞世の句

「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」

を聞いて
弟子が
「かけ廻る? いつもの先生なら「かけ廻り」ですよね」

それを聞いた芭蕉が、

「る・・だ。辞世の句だぜ。最後くらい、言い切りたいじゃねえか。
ここまで、かかったよ。いいきるのに・・」

というセリフがあった。

言葉は
一文字違うだけで
まるで
意味がかわる
そこには
作者の意志がある。


僕は
この「風は吹いている」の歌詞

「誰から先に抱きしめればいい?」

を、聞いたときに

ああ、すごい。さすが・・と思った。

「誰を、抱きしめたらいい?」ではない。

「誰から先に抱きしめればいい?」

誰から・・と、いう言葉には、
特定の誰かを、抱きしめるだけじゃダメなんだ

先に・・という言葉に
ひとりじゃダメなんだという意志がある

「誰を抱きしめればいい」

なにも考えずに書いている作詞家ならこうだろう

年間、50曲以上作詞しながら
世間からは
まるで
女衒のごとき言われ続けている秋元康という男

べつに
世間が彼をどう思おうと
僕はなにも思わないが

ただ
わかって欲しいのは


人が
無から何かを作り出すには
脳髄がブチ切れそうになるほどの
繊細な
苦しみがあるんだ

だから

すべての
創作物に
創作者に対して
できれば
真摯に対峙したい


そうあろうと
僕はいつも思う