
それはあまりにも豊かな光景。
70ミリの巨大なスクリーンに映し出された光景は、
あまりにも豊か、だった。
道に延々と並んだ戦車、シープ
そして兵隊。
空を覆い尽くすほどの
飛行機から
次々と落下する空挺部隊。
何百人という兵隊が、
一気に地面に降り立ち
パラシュートをはずして
走る。
巨大な橋から次々とドイツの戦車が
走ってくる。
それを
迎撃するアメリカ、イギリスの連合軍。
美しい街が
砲撃によって
あっという間に廃墟になっていく。
人間が作り出した最高のファンタジー
無駄に無駄を重ねて積み上げた
見事に意味のない芸術
それが戦争。
アメリカの戦争映画は
「地獄の黙示録」に到るまで
この徹底的に豊かな贅沢な
本当に
壮大な
破壊のファンタジーを
巨大なスクリーンに再現してくれた。
それも
CGなんかじゃない。
実際に
破壊して
見せてくれたのだ。
あまりにも
魅惑的なばかばかしさ。
連合軍の大量の飛行船団を観て
マクシミリアン・シェル演じる
ヴィルヘルム・ビットリッヒ親衛隊中将がつぶやく。
「うらやましい・・」
敵ですら畏怖し憧れる
その物量の美しさ。
現代では
もうほとんどありえない
圧倒的な物量による
勝利。
第二次世界大戦の決定的な勝因はそれであり
そして
僕たちが
憧れ痺れたアメリカの戦争映画の素晴らしさもそれである。
なにもかも、
豊かで圧倒的であり
あらゆる意味で
美しい・・。
この映画を
いま、改めて観てみると
よくもまあ・・・である。
よくもまあ、脚本の、ウィリアム・ゴールドマン(明日に向かって撃て)は
この話をまとめてつなげたなあ、
よくもまあ、監督の、リチャード・アッテンボローは、
この俳優陣やスタッフをまとめて作り上げたわ・・と。
大体
この手のオールスター戦争映画は
共同監督の場合が多い。
大体が
とてつもないスケールなので
ひとりでやっていては
完全に散漫になってしまう。
ただ
この映画は散漫というイメージはない。
アメリカとイギリスの連合軍という
英語圏の俳優を中心としている点においては
まとめやすいという点もある。
ドイツ軍も出てくるが
それほど
物語上の重きはおいていない。
さらに言えば
マーケットガーデン作戦というのが
構造的に観ると
シンプルで分かりやすい・・という
点もある。
要するに
橋を確保して進軍せよ・・というだけである。
さらに俯瞰してみれば
作戦自体が、
非常にくだらない。
橋の取り合いである。
それに
一万人近い死者が出ている。
この映画は
くだらない作戦に
浪費し疲弊する姿を
余すことなく描き切っている。
それは
当然、
ゴールドマンとアッテンボローの視線である。
歴史的な作戦の
成功や失敗は
色々な視点や立場、
そして
その後の戦況などの分析によって
色々な見方が出てくる。
ダーク・ボガード演じるマーケット作戦司令官、フレデリック・ブラウニング中将が
ショーンコネリー演じるロバート・アーカート少将に
「90%成功だ・・」という。
それに対して
アーカート少将は反論しない。
実際、
そういう見方も出来なくもない。
ただこの映画の結論は
「90%成功だ・・」を聞いたショーン・コネリーの表情に表れている。
「どうでもいい・・そんなこと」
戦争映画がどういうものか・・というのは
人それぞれだろう。
純粋な娯楽
戦争の悲惨さを描いてこそ。
そして
戦時下における人間模様、人間狂気
この映画は、
表層的には、ある作戦の過程を
辿った
歴史小説的な構造を持っている。
歴史小説的な物語は
最後には
かならず
その戦いの意味と言うのを
提示する。
「これによって戦局は
大きく変わったのであった」とか
「この作戦の失敗によって
日本軍はこの国から撤退することとなる」とか
そういうナレーションが入って
エンドタイトルがはじまる・・というパターンだ。
しかし
この映画、特に後半に行くに従って
ただもう破壊と殺りくの描写が延々と続く。
もう
とにかく
こんな悲惨な作戦を早く終わらせてくれ・・といわんばかりに
圧倒的な爆音が響き渡る。
そして
ラストは
家を破壊された家族の去っていく姿だ・・。
勝利なんてどうでもいい
作戦すらもどうでもいい
ただもう終わらせろ・・
膨大な物量による
破壊のショーの後には
徒労と残骸だけが残った。
続く



