素敵な文章 | ササポンのブログ

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そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます

そらのてっぺんなんか冷たくて冷たくてまるでカチカチの灼(や)きをかけた鋼(はがね)です。
 そして星が一杯です。けれども東の空はもう優しい桔梗(ききゃう)の花びらのやうにあやしい底光りをはじめました。 
 その明け方の空の下、
ひるの鳥でも行(ゆ)かない高い所を鋭い霜のかけらが風に流されて
サラサラサラサラ南の方へ飛んで行(ゆ)きました。
 実にその微(かす)かな音が
丘の上の一本いてふの木に聞える位澄み切った明け方です。
 いてふの実はみんな一度に目をさましました。
そしてドキッとしたのです。
今日こそはたしかに旅立ちの日でした。
みんなも前からさう思ってゐましたし、昨日の夕方やって来た二羽の烏(からす)もさう云(い)ひました。



宮沢賢治 「いてふの実」の冒頭。


とりあえず
昔は文章を書いて
銭を稼いでいたわけで
いまも
こういうプログという形で
懲りもせず文章を書いているわけなんですが

なんだかもう
同じ文章というのも
ほんとうにおこがましい。

美文なんて言うのはのもそっけない。
もう
素敵な文章としか言いようがない。



丘の上の一本いてふの木に聞える位澄み切った明け方です。
いてふの実はみんな一度に目をさましました。
そしてドキッとしたのです。
今日こそはたしかに旅立ちの日でした。

どこを
どう考えて
なにを観れば
こんな文章が書けるのでしよう。

宮沢賢治は、
戯曲家に信望者が多い。

言葉としての音。
言葉が音と響くときの心地よさ。

言葉を
理屈として理解するのでなく
音として文章を構築する。

どうせ
なんの因果かこうして文章を書いて
なにかを伝えようとしているのだから
この素敵な文章から
吹いてくる風の香りの
わずかでも
真似ができればいい・・と思う。