
ファンタジー映画の歴史を変えた
「ロードオブザリング」
念願の「キングコング」を経て
ピータージャクソンの新作は
おおむねの予想通り原点回帰。
彼の出世作
「乙女の祈り」の世界に
戻っていった。
しかし
その世界は
どうしようもないほどの
絶望色に染まっていた・・。
僕は、
見ている間じゅう、
心の中でつぶやいていた。
「おい、やばくないかい・・」
スピルバーグとピータージャクソンである。
いくらでも
予算はかけられる。
常識的に考えれば
いま主流の3Dで撮れるはずである。
しかし
この映画は2Dで公開された。
それは
この映画を観てみれば
納得する。
この映画において
CGを使っているのは
主人公の
死んだスージー・サーモンが彷徨う世界だけである。
そこと
現世との物語が
多重的に語られるわけだから
現世の世界を
3Dでやってもしょうがない・・
そういう現実的な理由もある。
ただ
それ以上に
僕が感じたのは
スージーのいる世界を
これ以上、
美しく素敵に見せてはいけない・・と
思ったのかもしれない。
僕が
心でつぶやいた「やばくないか・・」の理由は
それは
この映画が
「死の肯定」の映画になりそうだったからだ。
ただ
ただ
表層的に
ぼんやりと見ていると
まるで
某幸福の科学の
PRアニメみたいな物語である。
一昔前なら
丹波哲郎の「死んだら驚いた」である。
要するに
まったく未知なる死と言う世界を
あたかも
見たように読み解き、
死の不安に震える人間から
金を巻き上げる連中が
発する戯言映画に見える
ただぼんやりとみていると・・。
でも、
僕には
到底、そんなふうには見えなかった。
いまから
書く感想は
あくまでも僕個人の感想であって
これが読んでいる貴方の感想にはならないだろう。
当たり前だろ・・と
思うかもしれないが。
でも
普段なら
僕の感想が
他人の感想と同じになることがあるかもしれない・・と思っている。
当たり前のことだが・・
しかし
この映画に感じた僕の感想は
とても
普通とは思えない。
だからといって
修正する気はない。
すでに
予告で種明かしと言うか
前半の展開は
紹介してしまっている。
つまりは
スージー・サーモンは14歳で殺される。
その後の展開は
予告編を観ていたり
映画の紹介を観ていると
まるで
「ゴースト・ニューヨークの幻」みたいに
展開していくように見える。
もしかしたら
製作者はそれを狙っていたのだろう。
しかし
製作者のひとり、スピルバーグと
ジャクソン監督は
そんなことをやっても仕方がない・・と思っている。
いや
そうしようとしたかもしれない・・が
むりだったのかもしれない。
なぜなら
分からないからだ。
幼い少女が
殺される理由が・・。
幼い命を奪う生命体が
なぜ
自分と同じ人間なのか?
どうしてもわからない・・
なんで
虐待していた親を
まわりにかばっていた子供が
なぜ、なぜ
両親に殺されなくてはならないのか
わからない・・・。
わかるひとなどいない
でもそれは
何度も何度も
現実世界で繰り返される。
どうして?
だからこそ
殺された少女の
殺された後の行動が
その世界を
否定できないのだ。
あんなに辛い目に遭った少女が
まだ
男の子とキスもしたこともない少女が
殺されて、
行く先を・・どうして否定できようか・・。
でも、
そこは
殺された人間が行くところなのだ。
そこを肯定しては
生きる・・ということを
否定してしまう。
ここまで
僕の言っていることわかりますか?
わかるひとだけでいいので
続けて
読んでください。
少女が殺される・・・
それがあまりにも悲しく、
受け入れがたい現実であるとしたら
その後の世界を
描くことは
もう
冷静さを失う。
もし
真面目に真剣に
それを取り組んでしまったら
恐らく
作品としてのクオリティーを
保つことなどできない。
ピータージャクソンは
その悲しみの矛盾の中で
あがくように
この作品を作り上げた。
まるで
新興宗教のPR映画だと
言われるのを覚悟しながら
それでも
殺された少女たちの世界を
否定できなかった・・。
さらに
現実に生き残った家族の悲しみが
追いうちをかける。
娘を殺した人間の住む
この現世にいる
彼らが、
この現世という地獄を・・・
肯定しなくてはならない。
どうして
少年たちがや少女たちが
殺されなくてはならないのか?
殺すのがなぜ自分たちと同じ人間なんだろう・・
「エレファント」で感じた
あの答えがない問いが
また繰り返される。
それに取り憑かれたら
抜けられなくなる。
バカだと
訳のわかんない宗教に頼ってしまう。
だから
考えないようにしてください。
だから
ただ
単純な頭でこの映画は見てください。
お涙頂戴のサスペンスファンタジーでいいです。
だから
ピータージャクソンさん。
次に
製作する「ホビットの冒険」では
思いっきり金をかけて
3D映画を作ってください。
もう
殺された少女のことを考えるのは止めましよう。
でないと
創作者としてのバランスが崩れてしまいます。
この映画を観て
こんなことを考えて
日々
虐待されたり
いじめられたり
その挙句に
殺されてしまった
子供たちのことを思い
エンドクレジットでひとりで
泣いているのは
きっと
僕だけなんだろう・・と思う。
僕は
死の世界を否定できない・・。
だれも
否定できない。
そして
残念ながら
生を否定するのは簡単である。
いまの世界では・・。
それでも
やっぱり
生きなくてはならない。
この世界で・・。