221 「丹下左膳余話 百万両の壺」 | ササポンのブログ

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(後半部分に、若干のネタバレありの動画。
未見の方は、閲覧ご遠慮を。
ただ冒頭だけを観て粋な雰囲気だけを
感じてくださいませ)

今宵、
みなさまに語りまするは
「丹下左膳余話 百万両の壺」。
これがまた
実に、実に
粋な映画でございます。

この映画を監督しましたのが
山中貞雄。



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この方でございます。
ちょっと見、風采の上がらない
米倉斉加年のパチモノのような顔でございますが、
この方が
大変な才人であります。
26本の監督作品を残しながら
現存するのは
たった3本。

そのいずれもが
傑作というのがなんとも惜しい。
まことに惜しい。

そのうちの1本がこの「丹下左膳余話 百万両の壺」

タイトルを見ますと
この映画、
チャンチャバラバラの活劇かと
思われる方が多いと思われますが
これが
あにはからんや
まことに
よくできた人情喜劇
いまでいうところの
コメディというやつであります。



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百万両の金子が隠し場所が塗り込められた「こけ猿の壺」をめぐって
丹下左膳と柳生一門との争奪戦に、
丹下左膳が居候をしている矢場の女主人櫛巻きお藤と
孤児ちょび安とのエピソードを絡めております。

これらの
エピソードが
まことに
巧みに
テンポよく組み合わされ
まるで
名人が語る落語のように
笑い泣けるのでございます。

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この映画、まるで夜空に輝くキラ星のごとく
魅力が散りばめられておりますが
やはり
最初に語るべきは、

大河内傳次郎演じまするところの丹下左膳と
喜代三演じますお藤の掛け合いでございます。

このふたりの会話は
もう
まるで
夫婦漫才。

特に
孤児のちょび安が絡んだエピソードは
まるで
ホームドラマであります。

父親が殺されたことを
ちょび安に話せない丹下左膳。

「おいら、いままで、一遍も泣いたことないよ。」
「そうか、泣いたことはないのか」
「あ・・一遍だけ泣いたことがあるよ」
「ほ、それはいつだい」
「かあちゃんが死んだとき」

ますます左膳、話せない。
この後の
描写がまた見事に
観客の涙腺を緩める。


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さらに
お藤を演じる喜代三の姐さんが
実にリアルでいいのでございます。

それもそのまず
喜代三姐さんは
元鹿児島芸者。
本物の迫力でございまして、
素敵な歌もしつかりと聞かせてくれます。

「あたしゃね、子どもなんか大嫌いなんだよ」といいながら
ちょび安の母親代わりとなり
あれこれと世話をやく。

ちょび安を、
寺子屋に入れるか
道場に通わせるかを
丹下左膳と言いあう場面は
ほとんど
おとうちゃんとおかあちゃんであります。

こういう
家庭的な笑いと
丹下左膳の見事な殺陣世界が相まって
実に
日本的な域の世界が展開するのであります。




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さらに
楽しいのが
無能で間抜けな婿養子柳生源三郎を演じた
沢村国太郎。

お坊ちゃんの人の良さを
軽妙に演じて
さらに
喜劇世界を彩る。

しかし
この人情喜劇な粋な世界を
原作者の林不忘は理解できず
この映画に抗議しております。

こういう人を
無粋というのであります。

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名作『人情紙風船』を製作、封切り当日に召集令状が届き、
平安神宮で壮行会が行われ神戸港から中国に出征した。
中島今朝吾中将率いる北支那方面第2軍第16師団歩兵第9連隊第1大隊第3小隊に編入し、
第2分隊長として、
12月には南京攻略戦に参加した。

翌1938年(昭和13年)9月17日、
中国河南省開封市の病院で戦病死した。
満28歳没。


手記には「紙風船が遺作とはチト、サビシイ、友人、知人には、いい映画をこさえてください」と
遺された。

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