
この映画を監督したのは
ロンドン公演のクリエーティブ・パートナーでもあったケニー・オルテガ。
このドキュメンタリーの監督を
依頼されたとき
彼は一度、断った。
しかし
彼が断わっても
誰かがやる・・と聞き
それなら自分がやるべきだと思った。
彼が作ったこの映画は
マイケルの明日だった。
遥か未来ではなく
明日の姿だった。
僕が昨日、ブログに載せた
玉三郎のドキュメントを観ているひとなら
わかるはず、
マイケルは
この公演で未来なんか見ていなかった。
この公演の最終日すら
観ていなかった。
ただ
明日を観ることによって
明日に
初日に
期待を寄せている観客を
非日常に連れていくために
この舞台を作っていた。
その創作を
横で手伝っていたオルテガは
その明日、作られるべき舞台のみを
再現しようとした。
それもとても原始的で愚直な手法で
CGをもっとつけ足せば
もっと
完璧な映画になっていただろう。
マイケルの衣装や
サングラスの着脱など
簡単にごまかせた。
他のダンサーは
現存しているのだ。
いくらでも
加工は出来、完璧な画像は作れた。
しかし
オルテガは、
見事に加工はしなかった。
ただ編集という原始的な手によってのみ
作り上げた。
中途半端だとか
こんなの映画じゃないとか
こんなん、DVDのおまけじゃん・・とか
言われることなど恐れもせず
堂々と
自分たちが死に物狂いで作り上げようとした
マイケルの明日を
見せようとした。
このフィルムが
映画じゃないという
あなたに
少しでも想像力があるなら
思い描いてほしい。
子供のころから
マイケルのビデオを観て育ち
こうなりたいと思い
ダンスを練習して
そして
何百倍もの競争を勝ち抜き、
本物のマイケルと一緒に
舞台で踊れるはずだったダンサーたちの気持ちを・・。
本当に
あこがれの
世界一のひとの
創作にかかわれると思い
必死になっていたスタッフたちの気持ちを・・。
それらを
逐一観ていたオルテガは
そんなひとたちの気持ちを
そして
その頂点で、
本当に
命がけだった
マイケルの
明日を
この映画で見せたかったのだと思う。
そんな
みんなの明日が
一瞬内に砕け散った絶望を・・・。
映画とは
あらゆる世界の表現者たちが
最高の技術を持って
人間の感情を
フィルムに焼きつけたもの
・・だと僕は思っている。
この「this is it」は
映画なのか・・・と
疑問を呈しているひとたちがいる。
そういうひとたちと
僕は
もう根底から、
価値観が違うと言ってもいい。
話をしても
根本の価値観が違うから
話もしたくないし
どうせ
話すことなどない。
もう一度言います
映画とは
あらゆる世界の表現者たちが
最高の技術を持って
人間の感情を
フィルムに焼きつけたもの
この「this is it」は
僕の
価値観から言えば
映画以外の
なにものでもありません。
恐らく
このステージが
一曲を表現するのに使った
お金、
セットや映像や
ダンサーや演奏者たち
それは
他のひとの
普通のコンサート全体に
かかより
大きいだろう。
このステージを
どうやって
転換するのだろう。
それを
考えるだけで
茫然としてしまう・・。
未完成で
これである。
完成していたら・・完璧に再現していたら・・・
そう考えるだけで・・・。
もしかしたら
この映画で一番、泣いたのは
あのコンサートのチケットを
持っていたひとたちかもしれない。
恐らく
ここ数世紀で
スケール的にも
技術的にも
最高のステージを観られたかもしれないのに・・・。
フィルムだけでも・・観たかった・・・。
世界じゆうのひとが思っただろう。
僕は考える。
誰がマイケルを殺したのか?
誰が
マイケルの明日を
潰したのか?
僕は
マイケルの最後の日本公演に行かなかった。
興味すらなった。
終わったやつの
銭稼ぎだと思っていた。
それは
僕の罪である。
僕の後悔であり
僕の遺恨である。
しかし
作品だけに
マイケルの創りだした
作品だけを観ていれば
ただ観ていれば
そんな気持ちにはならなかったはずだ。
僕らは
マイケルのなにを観たかったのだ
崩れた顔面か?
それとも
私生活の奇行か?
薬でボロボロになって
まるっきり
踊れなくなった
それでも
弁護代のために
作り上げられた不完全で緊張感のないステージか?
そんな
世間のマスコミが観たかったマイケルを
僕らは観たかったのか?
そうだろう!!
そうなんだ!!
僕らは
そんなボロボロのマイケルが観たかったんだよ
栄光と転落という
極めて低俗だが魅惑的な世界が
僕らは
見たがった。
だから
マスコミは
そんなマイケルを作り出した。
そんな下劣を
マイケルやスタッフたちは
最高の技術や
情熱や
意志や
思いや
汗や
・・・
そんな色々で持って
粉砕しようとした・・。
いまさら
彼が死んだあとに
それを観て感動するなんておこがましいではないか。
本当に
この映画を観て
心の奥から泣いていいのは
マイケルの無罪が発表されたとき
裁判所の外で
泣いて喜んでいた
マスコミや世間から
狂信的だとか
良識がないといわれ
異端視されていた
熱狂的なファンだけである。
僕に
この映画で泣く権利なんかない・・。
僕は
すでに実行していますが
ここに
書いて
その行動をさらに
徹底しようと思います。
僕は
ワイドショーとかいうのを流している
地上波と言われているTVや
週刊誌や新聞から
完全に
撤退する。
僕は
創作者が創りだしたもの
そして
創作者たちの直接の声しか
観ないし聞かない。
それだけが
僕のなかで
必要な真実だから・・・。
「へへへ。わかんねえんだよ・・
なんで立ち上がってんのか・・
なんでおれは立ってんのか・・
わかんねえなあ・・」
あしたのジョーより