
「われわれはイーストウッドは
変態だからと思っていたのでこれまでは安心していたのですが
どうも変態以上の何かであるということで
混乱しはじめているわけです。
ところが
彼自身はこの混乱を止めるどころか
もっと混乱せよ・・と煽っているかのようである。
そんな存在を私は愚かにも擁護しなければならぬと
思って込んできたわけですが、
彼は私の擁護などまったく無縁にすごい世界を創っていった。
私は『チェンジリング』『グラン・トリノ』
どちらを取るかと言えば
両方凄いというしかない。
ここまで来ちゃったと息を飲むしかありません。」
蓮實重彦
僕が
グラン・トリノを見たときの
ある種の混乱を
ここまで明確に
具体的に
言葉にしてくれたのでありますから
僕は
もうなにも書く必要なんか
ないんだけど・・。
本当に
覚悟を決めて観たわけじゃないないから
本当に
ショックだったわけです。
その予兆はあったんです。
「ミスティックリバー」において。
何度も書いていますが
あの映画は
完璧だったんです。
まるで
サスペンス映画の名手が作り上げた
極上の人間ドラマを観ているようで
本当に
完璧でした。
それまでの
イーストウッドの映画に
完璧はなかったわけです。
どこか
微笑ましいほど
破綻していて
完璧を意図的に破壊しているかのような
B級、変態映画ばかりだったわけです。
だから
「許されざる者」を見たときも
その変態イーストウッドのひとつの集大成、
いままでとなにも変わっていない
変態映画だったわけで
混乱はなかったわけです。
「ブラッドワーク」もそうだった。
ところが
「ミスティックリバー」において
それが変容してしまった・・。
それを
僕は愚かにも
イーストウッドが
歳を取って
油っぽさが抜けて
疲れて
こうなった・・・と思ってしまった。
まさか
イーストウッドが
進化している
いや
増殖している
いや
暴発しているとは
思わなかった。
映画監督として
イーストウッドは
もう手がつけられない
手がつけられない
わからない
だけで済ませてしまえば
簡単なのだが
それで終わってしまっては
なんだか
悔しい。
前回の記事で引用した
ニックシェンクのインタビュアーが
こんなことを言っている。
スピルバーグが権利を持っていたため
比較的話がスムースに進んだ
硫黄島二部作は別として
『ミスティックリバー』や『ミリオンダラーベイビー』
なども資金繰りが順調に行くことは少ないようです・・
あのイースウッドですら・・である。
扱っているテーマが
暗い・・からである。
一体
映画監督や脚本家は
どれほど絶望的な状況で戦っているのだろう。
『グラントリノ』も
恐らく『ミステックリバー』も
ほとんど
脚本を変えていない。
数シーン、カットすることはあっても
変更はしなかった。
それは
もしかしたら
イーストウッドが
ここにきてやっと、ちゃんとした映画が
自由に撮れるようになった・・・ということかもしれない。
それは考えれば考えるほど
絶望的な状況だ。
イーストウッドをしてやっと・・ということである。
でも
それだけで今回の
『グラン・トリノ』の奇跡が説明できるわけではない。
奇跡というのは
それまでの地道な軌跡がなければ
起こりえないものです。
奇跡には
かならず
そこまでの軌跡があるはずです。
それがなんであるか・・・。
僕は
それをちょっと
考えてみたい気がする。
まあ、わからないのは
必至だが
必死に考えれば
それなりの答えに近い
なにかがわかるかもしれない。
これから
それなりに資料や旧作の分析をしつつ
ゆっくりと考えたいと思います。