161 「16ブロック」(Ⅱ) 毎日が誰かの誕生日なんだ 。生きてることに感謝しなくちゃ | ササポンのブログ

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前回からの続きです。
最初の襲撃から逃れたアル中刑事のジャックとエディの前に現れる刑事たち
ジャックの仲間たちは、
エディを殺そうとする。
エディの証言は
仲間をムショに送ることになる・・。
だから
殺す。
お前は眼をつぶってろ。

ここで
「ガントレット」では
無駄に最後までダラダラと引き延ばしていた
襲撃の理由をすぐに説明する。

このシーンで
警察という組織の
仲間意識の恐ろしさを見せつける。
自分の仲間のためなら
街のチンピラの死など
なんの問題もない。

恐ろしいが現実。
この辺のところは
映画ファンならおなじみだ。
もう何回も何回も
警察内部の人間の仲間意識の
恐ろしさは描かれている。
「セルピコ」「プリンスオブシティ」などなど・・。

しかし
ジャックは仲間を裏切って
エディを助けた。

そして、
そのあとに
この映画で
僕が本当に好きなシーンがある。




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仲間の刑事に追い詰められたジャックが
昔の相棒のフランクに
言われる。
「そいつと俺たちのどっちを信じるんだ!!」

ジャックが
何も言わずに
エディを観る。

そして
その小悪党然とした
おしゃべりな黒人を信じた。
彼の眼には
どちらが正しいかを
外見や経歴でなく
その眼で信じたのだ。

ここで重要なのは
ジャックは、
仲間のフランクの声しか聞いていない。
しかし
エディは目の前にいる・・という状況設定だ。
そして
フランクの言葉に従わない
もうひとつの理由は後に明かされる。
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この映画の魅力にひとつに
エディという囚人がある。


「ガントレット」の娼婦と比べて
このエディのキャラの魅力的なことと言ったら。

この映画のシナリオの肝心な部分が
この護送する囚人のキャラにあることを
この映画の脚本家はよくわかっていた。

つまり
ふたつの映画は両方とも
護送する囚人によって
主人公が再生する話なのだ。
この囚人にそれだけの人間的な魅力がなければ
そもそも
この映画自体が成り立たない。

それを「ガントレット」の脚本家は
全然
わかっていなかった。


このエディが
実にあっさりと
この映画のテーマを
ジャックに告げる。
「人は変われる」
それはジャックが
飲んだくれて落ちぶれてしまった
根本の原因でもある。、
人は変われない・・・という現実を


エディはそれをあっさりと否定する。


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「毎日が誰かの誕生日なんだ
    生きてることに感謝しなくちゃ」

こういうセリフを実にあっさりと
言わせてしまうセンスの良さ。

誕生日用のケーキの店を開くのが夢・・・

そのケーキのレシピを書いたノートを大切にしている囚人。

この設定だけで
もうこの映画は勝ちです。

女の子にそれを見せるところ
ありきたりなシーンかもしれない。
お涙ちょうだいのシーンかもしれない。


しかし
エディが
銃を握ったときに
眼の前に自分を殺そうとする刑事がいたときに
思わず
銃をのど元につきつけようとする
恨みや悔しさが
対比されて、きっちりと描かれる。

そして
「ガントレット」との酷似を指摘されるバスのシーンも
見事なリアルで描かれる。



乗客と一緒にエディを逃がす。
そして
バスの中に残ったジャックの告白
「いいことがしたかった」


その意味はラストシーンで明かされる。

そして
そのラストシーンももうひとつのポイント。

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「ガントレット」で
下手な脚本の好例として出した
あの狙撃のシーンが
ここでは
重要なポイントとして出てくる。

観ていない人のために
ネタバレになるから書かないが
すべてがかっちりとはまり、
無駄がなく
組み立てられている。



もう見事に、本当にいい話
何回でも見たい
何回見ても
まるで「クリスマスキャロル」のような本当にいい話が
この映画です。



「毎日が誰かの誕生日なんだ
    生きてることに感謝しなくちゃ」

「人は変われるんだよ」

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