127「バットマン(1989)」 2   この映画はなぜ、日本で大コケしたのか? | ササポンのブログ

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アメリカでメガヒット
その噂が高まり日本のマスコミ大騒ぎ。
鳴り物入りで公開。
結果は
大コケ。

表層的な理由は
多々あるだろう。

キャラクターが
それほど日本人になじんでいなかった。
マイケルキートンとティムバートンの
その当時の
日本での知名度のなさ。
映画の内容とかけ離れた宣伝。
そして
配給会社の油断。

しかし
作品自体が素晴らしければ
口コミで伝わり
観客は増えたはずである。
それほど
日本の観客はバカではない。

作品は
最高である。
しかし
観客はまったく無視した。

つまりこの映画は
日本人には合わなかったということだ。

僕は
このバットマンシリーズを
ティムバートン監督の2作しか見ていなかった。

そのあとの作品は
論外として
時間を経て登場した
クリストファー・ノーラン版の評判を聞いて
観たいと思っていたが
なぜかその気は起らなかった。

しかし
この最初のバットマンの評を書くに際して
やはり見ておこうと思った。

ちょうどいいタイミングで
日比谷の映画館で
「ダークナイト」が凱旋上映されている。

その準備のためにDVDで
前作の「バットマン ビギンズ」を観た。

最初の10分で思った。
いいや、「ダークナイト」はDVDで観よう・・と。

この僕の心の変化はなんだろう。
両方とも、
よく出来た作品だ。
それは
まぎれもない事実だ。

でも
なぜか僕の心にはこなかった。
その原因は、
また書くかもしれないが
いまは
まだ未整理なので・・。

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このバートン版「バットマン」が
日本で受けなかった理由を
僕なりによく考える。

ただ単に暗いから。

それだけで説明がつかないのは
明らかだ。
あの当時は
コケただけじゃない。

異常にこの作品を
日本人がけなしていたからだ。
「まったくおもしろくない」
「どうしようもない」
「なにがやりたいのかわからない」

僕は考えて
僕なりの結論を出した。

「日本人は、サーカスが嫌いなんだ。
そしてフリークが理解できないフリをしているんだ」
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ティムバートン版のバットマンは
サーカスです。
それも
フリークな化け物が乱舞する
とびきり
派手だけどみすぼらしいサーカスです。

前回、載せたティムバートンの言葉にあるように
この映画は
神経症のコスプレマニアの男が
キチガイを退治する話です。

構造的によく似た映画があります。

「ダーティハリー」です。

あれも人種差別丸出しのキチガイデカが
キチガイを退治する話です。
異様にでかい拳銃を持つところなんか
まるでコスプレです。

結局
キチガイの犯人の精神構造を理解するのは
同じキチガイ
という
その根底にあるものは
「バットマン」も「ダーティハリー」も
同じです。

しかし
ティムバートンは
それをサーカスのショーとして表現して見せました。
とことん趣味の悪いフリークのショーとして・・。
そこにこそ、
ティムバートンの作家性があり、
世界観があります。
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フリーク・ショーは本来
日本人が本家です。

見世物小屋を楽しみ、
怪談を聞いて
化け物映画を見る。

それは
日本の
エンタテーメントの根源でした。

本来
このティムバートンの趣味的な凶乱舞は
日本人が喜ぶべき風景だったはずです。
なのに何故、
あれほど拒絶したのか?
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かたわ、こじき、こびと、せむし
びっこ、めくら・・・
「どろろ」や「妖怪人間ベム」を再放送できないTV局

フリークに対する言葉を、映像を、奪われた日本人は
その存在すらも嫌うようになった・・と考えるのは
考えすぎか?

キチガイ。
どこにでもいるのに、
誰もが使えない。

これを異常といわずしてなんという。
これを差別といわずしてなんという。



極彩色の闇の都市で踊るふたりのキチガイフリークの物語。

そこには
正義の意味も
法律も、
悪の概念もありません。

あるのはただサーカスの祝祭だけです。

だから
サーカスぎらいで、フリークを認めない
日本人は拒絶した。

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