
もうわかりきっていることなので
いまさら
書いても意味がないのかもしれない。
ただやはりこれは
かなり深刻な問題なのかもしれない。
アメリカ映画も、
日本映画も
もうアニメしかまともな映画を作れない。
「k20」で
多少、見直した日本映画だが
やはり
アニメの諸作品に比べると
もう対抗する能力すら
残されていない。
そのアニメの世界でも
飛びぬけているのが
ピクサーであることは
まぎれもない事実である。
「トイストーリー」のジョン・ラセター
「モンスターズ・インク」のピート・ドクター
「mrインクレディブル」のブラッド・バード
そして「ファインディング・ニモ」の監督であり
この映画を作ったアンドリュー・スタントン。
誰の手からでも
質の伴ったヒット作が作られるし
きっと腕のある新人がひしめいているはずである。
この「ウォーリー」は
もしたしたらアカデミーの作品賞に
ノミネートされるかもしれないといわれている。
まだノミネートが決まっている作品を
観たわけではないが
よほどの出来がよくなければ
もしかしたら
いや・・・
もし何の偏見もなくこの映画を観れば
まず間違いなく
この映画が
作品賞を取るはずである。
色々なところで書かれているが
この映画の冒頭30分は
ほとんどセリフはない。
これだけで
恐らくTVに慣れてしまった子供は
寝てしまうかもしれない。
しかし
そんなことを恐れるような
監督では
いまのピクサーで作品を発表することなどできない。
このセリフがない30分を
見事なテンションで見せ切ってこそ
いまのアニメ世界で生き残っていけるのだ。
もちろん
この映画の冒頭30分は
見事なレベルで、
ウォーリーの日常を見せる。
ゴミを処理しながら
役に立ちそうなもの
興味を引いたものを集めるウォーリー。
友人は、
名もなきゴキブリ?一匹。
がらくたで、
デコレートされた室内のデザインだけでも
十分にアートであります。
恐らく
この室内のデザインだけでも
何十人ものスタッフが
徹底的にディティールを
描き込んでいるであろう・・。
大切なところに
絶対的に手を抜かない根気と余裕が
作品全体を引きしめる。
そんな単調なウォーリーの日常に
潤いを与えているのが
ミュージカル映画「ハロー・ドーリー!」(これがVHSテープというのが泣ける・・)
内気な青年が
都会に行って
女の子にキスしたいと願う、
夢を叶える歌と踊り・・。
その映画を
その映画だけを
繰り返し見ながら
他者と手を繋ぐことを憧れる孤独なロボット
その描写だけで
僕は
泣けた・・。
本当のひとりぼっち
孤独を経験したことがあるひとなら
ウォーリーの繰り返される
ワンパターンな日常、
自由だけど
変化のない繰り返し・・が
身にしみてくる。
まあ
ロボットであるから
寂しさなんか感じていなかもしれないが
憧れがあるなら
寂しさもあるであろう・・。
かと言って
旅立とう・・なんてことは
プログラムされていないので
結局、
ゴミを集めて
固めて
積み上げる日々。
そのゴミの塊が
ビルディングのように積み上げられても
ウォーリーの日常は
変わらない。
故障して動かなくなった
無数の仲間の部品を使って
ウォーリーは
自己を修復しながら
動き続けている。
やがて
空から、彼女がくる・・。
ウォーリーが
来訪者のイブを
はじめて部屋に招待するところなど
もうほとんど独身の男が
はじめて彼女を
部屋に連れてきたときのようだ。
ソワソワして
なにをしたらいいのかわからなくて
とりあえず
ありとあらゆるものを
見せる。
もちろん
「ハロードーリー」も・・。
そこから動き出す
この映画の基本構成は
「ファインディング・ニモ」と同じです。
ただもう愛する者を追っかける。
それだけです。
ただ
前作は、
親と子だったから
気がつかなかったけど
今回
一応、名前だけでも
男と女となっているので
気がついたけど
ほとんど
これは
『未来少年コナン』である。
はじめて出会った女の子に憧れて
その子を守るために
ただひたすらに
暴走する男の子・・。
さらに言えば
この映画は『風の谷のナウシカ』の影響が大なことがわかる。
ネタバレになるので、具体的に言うのは避けるが・・。
まあ、いまのクリエイターで
宮崎駿と押井守の影響を受けているひとは
珍しくないけど
それを消化して自分の世界にしているひとは
少ない。
ただおもしろいのは
期せずして
宮崎駿もアンドリュー・スタントン監督も
この時期に同じテーマで
映画を作った。
「ボーイ・ミーツ・ガール」だ。
誰かを求める困難を
喜々として受けいれ
突破していく主人公。
たとえ
それによって
破壊されようとも
なんの疑いもなく
それを受け入れる潔さ。
こんな時代にヌケヌケと人間になりたいというポニョ
そんな彼女を、
無条件に受け入れる宗介・・。
コナンも
ウォーリーも
好きな女の子を守ることに
なんの疑いも
一切
持っていません。
人を求める心に
ただ正直に突き進むだけです。
「ボーイ・ミーツ・ガール」
「ガール・ミーツ・ボーイ」
それを
いまの時代にやることが
どれほど困難なことであり
テクニックを必要とするか・・。
ただそれを成しとげた作品は
それだけでもう名作となる。
環境問題とか
消費社会に対する寓話とか
いろいろな側面が
この映画にもありますが
僕は
そんなのは
どうでもよかった。
そんなのは
物語上の必要悪です。
もうただこの映画が
僕の涙腺を緩め続けた理由は、
丁寧に繊細に描かれた孤独の描写と
困難を超えて
求める他者を手に入れる喜びが
恐ろしいぐらいに
ポジティブに描かれていたから・・。
ただそれだけで、僕は泣けるのです。