
年忘れゾンビ祭り!!
ダニー・ボイルというひとの実力を完全に見誤っていた。
正直
「トレインスポッティング」はつまんなかった。
なんか全部、どっかで観たことあるようなシーンや
観たことのあるような話、キャラ・・。
独自性がカケラも見られなかった。
まだ大コケした「ビーチ」のほうが
見られた。
「ビーチ」で
信用もユアン・マクレガーも失ったボイルさん。
泣きながら帰ったイギリスで思いました。
「いままでの俺は死んだ。だからゾンビになって甦ってやる」
そして
この映画を撮りました・・そんなわけないやろ!!
気がつくべきだった。
「トレインスポッティング」にも「ビーチ」にも
ホラー的な演出があった。
「ビーチ」なんてほとんどホラーな話だろう・・。
イギリスでボイルさんが撮ったのが、
なんとロメロの「ゾンビ」へのオマージュ映画・・。
なぜか
本家のリメイクを含めて
ハリウッドではロメロの「ゾンビ」リスペクト作品が連発された。
その中でも
この映画と「ショーン・オブ・ザ・デッド」の出来が抜けている。
いきなり主人公、ジム(キリアン・マーフィ)、目覚めて、
誰もいないロンドンの街・・・
僕は、
この辺のシーンを観て
おっと思った。
美しいのだ。
なんというか
画面の抜けが
空の色と地上の色のコントラスト
異常に美しいのだ。
こういう画が撮れる感覚を持っているひとは
そうはいない・・。
そこからの展開は
もうゾンビ映画の類型を堂々と踏襲している。
生き残っている人間を見つけ
現状認識。
ジムの両親の死体・・
身につけている下着の汚さ・・
ディテールがもう見事である。
そして襲い来るゾンビとの対決。
動きの速いゾンビというのは
他の映画でも
出てきているが
この映画のゾンビは
もう陸上選手並みに速い!!
その動きの速いゾンビに対しての
人間たちの殺し方がすさまじい。
文字通り、情け容赦なく叩き殺している。
ここに至って
この映画の傑作が確定してしまった。
必死に生き延びる親子と出会い4人が
特効薬を見つけたというラジオ放送を頼りに、
マンチェスター郊外まで車を走らせる。
ゾンビ映画を
嗜好しているひとなら
この中で誰がゾンビになり
それを
誰が殺すだろうか・・と思ったに違いない。
僕は思った。
父親のフランク(ブレンダン・グリーソン)が、
ゾンビになった娘ハナ(ミーガン・バーンズ)を殺す・・。
それはありえるが
暗過ぎるしぼくの好みではない
まあ妥当なところは
ジムとセリーナが恋仲になり
どちらかが、どちらかを殺す・・が妥当かな・・と思ったが・・
ま、
結果は・・観てのお楽しみ・・。
ここから
またファーストシーンで展開された美しい構図が
再現される。
水力発電の風車を
画面に入れながら
ゆっくりと走る車
見事なその構図に見とれてしまう。
もちろんスーパーでの
食糧調達における
バカ騒ぎも忘れない。
ゾンビの発生で
最低なことばかりだが、
唯一楽しいのが
この好き勝手な食糧略奪だ。
どのみち
この手の映画における
行き着く先は地獄であります。
その前にまるで息安めのように
美しい風景が続く。
やがて
軍隊が統治する屋敷に
到着するが
もちろん
そこに平和など無い。
ただの殺戮だけだ・・。
しかし
この屋敷でのシーンも、
恐ろしい美しさに彩られる。
女たちにドレスを着せる倒錯ぶり
飼われているゾンビ・・。
とにかく
ボイルさんのただならぬ美術的な才覚が
あふれ出る。
ここで
ヘンリー少佐を演じるクリストファー・エクルストン。
個人的にこのひとの顔は大好きだ。
この映画での画像はなかったので
TVドラマの「ドクター・フー」のでありますが
なんともいえず個性的で鋭角的でありながら
優しさを残す稀有な顔であります。
あとこの映画のラストシーンは
信じられないぐらいに独創的だった。
こういう映画で
ああいう美しいラストシーンが作れるとは
あのラストシーンの美しさが
ボイルさんにおけるゾンビ映画の独自性を
象徴していました。
とにかくあの文字を作る時の躍動感と
最後のそう快感は
この手の映画にはありえないものでした。
そして
美しいと言えば、
極めつけが、
あるひとへの血液を介しての感染のシーン!!
まずゾンビ映画の中でも、
ナンバー1の感染シーンでしよう。
あのシーンだけでも
この映画はもうクラッシックです。
今年、アカデミー賞の最有力となるであろう『スラムドッグ・ミリオネア』(原題)を
作り上げたボイルさん。
もうユアンがいなくても大丈夫。
でも
またホラーを監督して欲しい。