110 「魔女の宅急便」 空を飛べる普通と、ドーラの晩年の姿 | ササポンのブログ

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人間は、たまには怒るのもいいものだ。
まったく・・・
見なきゃいいのに、
YAHOO映画の「ぽにょ」の一般レビューを読んでしまった。
それも
評価が低いやつばかり読んでしまった。
たまには怒るのもいいものだ。
でも
冷静に怒るよ・・。

まいどジブリの作品で批判されるときに出てくるのが
巨大な興行成績による拝金主義である。

まず言わしてもらう。
拝金主義のどこがわるいのだ。
すばらしいものを作って
それが子供たちに感動と喜びを与えて
作り手たちに金が入り、
また次の作品が撮れる。

それのどこが悪いのだ。

ジブリの宮崎アニメを製作の時には
1日、1億円の金が消費されるそうだ。
1日、一億である。
でもまあ、それぐらいはかかるだろうなと思う。
スタッフたちにちゃんと給料を払えば・・。
つまり
他の会社のアニメーターたちはちゃんと給料を貰っていないのだ。

1日、一億である。
それでコケたらどうなる?

かってジブリは存続危機に見舞われた。

なぜならコケたからだ。

どの作品が?

驚くなかれ
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」だ。
なんと興行成績は5億円だ。
宮崎駿は「トトロ」が素晴らしいといわれると
心の中で
「遅いよ・・・」とつぶやく。

批判されるべき拝金主義と
歓迎すべき拝金主義があるのだ。

「宇宙戦艦ヤマト」で大儲けして
本物の銃器を買いあさった行為と

自分たちの美術館で、
上映する実験的な10分のアニメに
1億もかけ
スタッフのために保育園を作る。

ともに拝金主義である。

それらを一緒にするやつに
モノ作りを評価する資格はない。

まあ、別に誰がなにを言おうと勝手だが


さて、
なんでこの映画の前に
こんな話をしたかと言えば
まさしくこの映画が拝金主義開始の映画だからだ。

はじめて冠会社がついた。
日テレと組んだ。
なによりも鈴木敏夫がジブリにプロデューサーとして移籍している。

何故か?

「トトロ」がコケたからだ。

鈴木敏夫プロデューサーの拝金主義がなければ
「ぽにょ」も「千と千尋」も「もののけ」も
そして
日本映画を一社で引っ張っている東宝の繁栄はなかった。

さらに
ジブリの作品を拝金主義というひとに問うてみたい?

この「魔女の宅急便」のどこに
えげつない金の匂いがするのか・・・。

映画というのは作品自体を観て評価しろ!!!

ここまでで怒りの文章は終り。
ここまでの文章に関しての抗議のコメントは
すべて削除しますので書いても無駄ですよ。
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この映画、宮崎アニメのなかでも異色です。

彼の作品は、
結構、巻き込まれ型の主人公が多い。
ラピュタも千と千尋も、もののけ、
あのナウシカですら、
自らの意思に反して、騒動に巻き込まれてしまうというパターンの構成を取っている。
ただこの作品のヒロインは、、
完全に自分から、進んで、物事を起こしている。
予定を早めて旅立ちしたキキ。
金がないので仕事を探さなくては。
わたしは、飛べるだけ。じゃ、宅急便をやろう。
もうびっくりするぐらいアクティブである。

この辺は
はじめて他人の原作を使った利点が出ている。
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やがてキキが現実を覗き、
風邪をひいて、
能力が減退してしまう。

それがとても不思議な宮崎さんらしい世界観。
空を飛ぶという能力を、特別なモノとは描かない。
絵を描くとか、パンを焼くとかいう普通の能力としてとらえ、
スランプになり、それができなくなると・・。
ボーイフレンドのトンボが
飛べるキキのことを
「凄い凄い」というが
キキはそれが凄いことだと思わない。

なぜなら生まれてから
備えている能力だから・・。
ところが
風邪と精神的な疲労によって
その能力がなくなる。
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仕事もできなくなり
落ち込んだキキは
画家のウルスラのところに行く。

ここで語られるエピソードは
本当に基本的な簡単な
でも大切なことだ。


スランプになったら、
まずジタバタしな、
そして疲れたら、なにもしない。そうすれば、また元気になる。



こういうことを
子供にちゃんと真面目に言う大人がいなくなった。
だから
ちゃんとした大人の宮崎駿がしっかりと言っています。
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この映画に出てくる大人というのは
みんなしっかりしている。

その大人の言葉にしっかり耳を傾けて
素直に育つ。

今の時代では
これがファンタジーになってしまう。

まだ遅くないと思う。
もし近くに子供がいるひとは
いや
近くにいなくても
大人はしっかりとした自分を持ち
自信を持って子供に接しようではないか。

そして
たとえ恥ずかしくなるようなことでも
ちゃんと正論を教えてあげよう。

たとえいまは反発しても
その言葉は頭に残っているものです。

昔は子供、いまは大人の
ぼくたちがそうであったように・・。
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あと、個人的に、ドーラのその後が見れて楽しかった。

ラピュタの後に、
宮崎アニメには、
ドーラもどきのおばあちゃんが、
たくさん出てきたが、

本当のドーラは、
この映画の
キキと一緒にパイを作った老婦人の家にいた
お手伝いのおばあちゃんだと思っている。

どうしてこんなところで、
お手伝いさんなんかしているかと言えば、
きっと息子たちは、大きな獲物を狙ったときに、
みんな死んでしまったのだろう。
それにショックを受けて、
自分も死のうと思っていたところを、
この映画の老婦人に助けられて世話になっている・・と僕は勝手に解釈しています。
そう考えると、
箒に跨って飛ぼうとしているところや、
テレビを見てはしゃいでいる姿がとても微笑ましい。
彼女がドーラの晩年だと思うと・・幸せな気分になる。
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