T&JとTA 第8回  「命の恩人」「アラスカの拳銃使い」「猫はやっぱり猫でした」 | ササポンのブログ

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The Bodyguard(命の恩人、1944年7月22日)



アラスカの拳銃使い Shooting Of Dan McGoo 1945年4月14日

ファーストシーンの酒場のシーンの作画の細かさと、奥行きに注目。1945年でっせ!!


Puttin' On the Dog(猫はやっぱり猫でした、1944年10月28日)


テックスアヴェリー 
アヴェリーは1935年末にレオン・シュレジンガー・スタジオ(Leon Schlesinger studio)に移ったが、初対面のレオン・シュレジンガーを相手に、自分自身をアニメーター達のユニットの責任者にして自分の作りたいアニメーションを作らせてほしいと説得する。シュレジンガーは納得させられてしまい、ボブ・クランペット(Bob Clampett)やチャック・ジョーンズ(Chuck Jones)ら後にアヴェリーを支えるアニメーター達からなるアヴェリー班を発足させた。サンセット大通りのワーナー・ブラザーズのスタジオのバックロット(オープンセット用の広大な用地)にあった五部屋のバンガローで、アヴェリー班はテクニカラーの『メリー・メロディー』ではなく白黒の『ルーニー・テューンズ』を製作するよう命じられた。彼らの別棟はやがて、シロアリ(termite)の多さから「ターマイト・テラス」(Termite Terrace)の異名で呼ばれるようになる。

ターマイト・テラスは、後にシュレジンガーおよびワーナーのアニメスタジオの別名となった。これはひとえにアヴェリー班が「ワーナー・ブラザーズのカートゥーン」というものを定義する作品を作り出したことによる。彼らの初の短編、『Golddiggers of '49』はポーキー・ピッグ(Porky Pig)をスターにした最初の作品で、アヴェリーのアニメーションにおける実験もここから始まっていた。