小笠原もまた戦渦の中影響を受けた島といっても過言ではありません。


その戦跡を語る第一人者としてガイドの誰もが板長さんだと発信しています。


そんな板長とはちょっとトラブってしまいます。YouTubeでも板長自分には若干厳しくあたります。


当時のトロッコのレールです。


通信司令室の入り口だそうです。


2重シャッターにして火炎放射器にも対応するためだったそうです。


中で待機していた兵隊が使っていたものです。


これはマラリアの薬瓶らしいです。この時、讀賣新聞記者2名も同行しておりそもそも囲み取材のような感じで自分はかなり場違いの参加となってしまいました。


水が沸いているところです。


このドラム缶のような瓶に水を溜めていたそうです。


電源のソケットのようです。


こちらも中で遮断するための格子扉ですがもうボロボロに錆びているので触らないようにと板長からの厳重注意です!


外部との送受信するための端子です。


これらは板長が集めて置いたものですが当時よりだんだん数が減っているそうです。本来なら博物館や記念館に保存すべきなのになあと思います。


対空砲です。


まだギアの部分が80年経った今でも手で回ります。凄い技術だと板長も言ってました。


米軍機が放った機銃の跡らしいです。


弾丸らしいです。


こちらはナパーム弾で焼けた跡らしいです。


木にめり込んでいる弾もあるそうです。


また先程とは種類の違う弾薬です。


かつての軍道には車のパーツの一部が残っていました。


こちらもカム?シャフトの部分?


シナモンらしいですが本土の東京にも出荷していたらしいです。


昭和19年のナパーム弾の火災で焼けた診療所跡です。


7人の待機場です。


板長が集めた戦跡品です。アメリカ軍の機銃の空薬莢もありました。


星のマークはかつての陸軍のものです。


ナパーム弾で溶けた瓶です。


所々に建造物が見受けられます。


硫黄島の塹壕から遺骨が沢山出てきたことや55日間トタン屋根の寝泊まりで暑くて死にそうだったとも仰ってました。


夜明山会議場跡地です。


円形状ですが半地下のような形状です。


こちらはさらに凄いものを拝めます。


大砲のような銃器が見えてきます。


間近でじっくり見入ってしまいます。


だいぶ劣化は進んでいます。


ただ80数年経った現在も威圧感は残っています。


目のようにみえるところはサスペンションです。


鋳造の技術は世界一らしいです。


砲身が凄いだろーと板長はアピールします。


つい砲身に見入ってしまいます。


溜まった埃を板長が掃除します。


愛おしそうに触る板長です。


口径部分も正面から見てみます。


これが十年式十二糎高角砲です。


当時は上陸戦も想定していました。



80年経過した現在も来ない敵に向かって睨みを利かせております。


場所はガラリと変わってこちらは発電所です。


発電機らしいです。


こちらも米軍なり軍事マニアがそこそこ持って行ってしまったらしいです。


一昨日来た旭平展望台です。


米軍機も幾つか撃ち落として沖に残骸あるそうですが海流が速いので?未だ分からないそうです。


板長のコメントも入っているので後ほどYouTubeにアップする予定です。