丸山は何がやりたかったのか。政治思想家は断念した。敢えて言うなら政治思想史家であったはずであるが、そう簡単に規定できそうでもない。
国家命令の学徒出陣や出征若者たちはどこまで納得していたのだろうか。決して口外できない 「 何故 」 という問いは、ほとんど全員共通のものだったろう。これに誰が答えられるのか。微妙でもあり教条的な人間がまだ溢れる戦後の社会において、戦争は終わったとはいえ、簡単に国家の本質を抉り出し、それを社会に曝け出すのは、大変な勇気と論理建が要求されたに違いない。
誰かが考え提示していく行為がどれだけ必要なことか。これがないと帰還兵は自分の整理、正当化ができない。論理の無い生き方には耐えられなかった若者は多かったに違いない。すべて 「 何故戦争に行かねばならなかったのか 」 「 何故あの友人は死なねばならなかったのか 」 そして 「 国家という組織は、何故あんな馬鹿げたことをしでかし、だれも止められなかったのか 」 戦後の新しい世界、社会に踏み出す前に、各人なりに総括する必然性があったのだ。いい加減にもみ消して次に一歩を踏み出せる程簡単な話しではない。実際には社会の変化の中で、この 避けてはいけないテーマは 「 忘れられて置いて行かれた 」 それでも丸山の意思はこの世のなかに 「 何か 」 を残したのだ。