偶々NHKのインパールを見たことから、戦争の馬鹿々々しさが募り、同時に丸山眞男の私なりの総括をしたくなって思いつくままに綴ってきたが
今日で最後にしよう。
「 何故を 」 問うことは考えることの第一歩であること。
考えに正解も不正解もないこと。
自分の考えを持っているか否かが人生において大切であるということ。
知識として記憶していることと、論理として人に説明し説得できることとは全く異なるものであること。前者は江戸時代に始まり明治の教育勅語で強化されたのだろう。
何を選択するかは皆さんの自由であるが、昨今の言葉の修辞に彩られたレベルの低い軽佻浮薄の流れだけは変えて頂けると大変嬉しい。
(この項了)
