20年前の鉄道写真その1
が、公開せずにほこりを被っているのが大多数なのが実情です。
なので、勝手ながら昔の写真を公開させていただき、自分の欲求も発散させていただきます。(笑)
まずは、年明けの恒例行事であった成田山初詣団体列車、通称「成田臨」の撮影から。
1992年1月15日 成田線木下~小林にて
今でこそPFが人気ですが当時はハズレ機関車的な扱われ方(虹釜以外)で、登場すると「あ~あ」という落胆の言葉が漏れ聞こえる感じでした。
千ケヨ201系廃車回送から吉田うどんまで
5月17日、友人のスケジュールに乗っかって、京葉線201系の廃車回送を撮影しに行って来ました。
当初は早朝から千葉へ遠征しようと計画してましたが、起きられず断念。
まずは御茶ノ水の聖橋からの撮影となりました。
1次車の第4編成、非冷房で登場したんですよね。
通過10分前に千葉からやってきた友人と合流。
201系が橋の上でかなり停車していただいたおかげです。
撮影終了後、今度は大月で撮影することになり、友人とその友人の3人で大月へ移動。
時間がギリギリでしたが何とか撮影場所に間に合い、お別れの一枚を撮影し、今回の目的は達成されました。
ローマ字かと思ったら、京葉車両センター→長野総合車両センターと
書いてあったりしました。
でも、このまま帰るのもアレだから…てことで、大月に停車中のフジサン特急へ駆け込んでしまいました。
久しぶりの165系に乗車し、テンション上がり気味でした。嬉しかった~。
そんなこんなでモーター音をなどを懐かしんでいるうちに、富士吉田に到着。今度富士山駅に改名されるようですね。集客増に期待します。
フジサン特急はスイッチバックしてほどなく、終点の河口湖へと到着しました。
まずは昼飯ということで、友人の紹介で今この地域でプッシュしているB級グルメ、吉田うどんを食べにいくことになりました。
駅から歩いて5分ほど、初めての人では必ず迷うであろう、まずお店があるとは思えない場所にそのうどん屋さんの入口はありました。
初めての吉田うどん、つゆが普通のではないのがまず驚きました。鶏ガラのようなスープベースの醤油味っていう感じです。
また、うどん本体もとてもコシが強く、すいとん位の弾力があり、腹持ちがすこぶる良かったです。
十分お腹が満たされたところで、お店の外に出てみると、黒っぽい怪しい雲が空一面を覆っていました。
急いで河口湖駅に戻り、今後の予定を考えていたところに「ザッザァ~」と
ものすごい雨が降ってきてあっという間に土砂降りに。
門限時刻と豪雨による帰路途中の交通障害のリスクを考え、ここで2人と別れ一路家路につくことにしました。
いつまでがんばってくれるのでしょう?
フラッと小さな旅はやっぱりいいな、と改めて楽しく感じた次第です。
田植えのお手伝いから考えたこと
先月29日に、千葉・成田の親戚宅へ田植えの手伝いに行って来ました。
親戚の集まりの延長線上みたいで楽しかったです。
田植え機で苗を植えて行くわけですが、昔は手でやっていたんですよね。
考えるとすごくパワーのいる作業だったんだと痛感しました。
しかしながら、今は実際機械化になったとはいえども、人の作業が必要な箇所はまだまだたくさんありました。
苗を運び出す・田植え機で凸凹になったところをならす・田植え機でできないところを手で植える・etc…。
田んぼに限らず、農業の機械化が進んでも、人の手はかかるんですね。若い力が本当に必要なのがよく分りました。
若すぎて、すぐに飽きちゃう方々もいますが…↓↓↓↓↓(●´ω`●)ゞ
農業に従事していない人は、ぜひ一回農業を体験してみるような制度があればぜひ、参加してほしいですね。
日ごろ口にしている食べ物がいかに手間のかかっているものなのか、そして、農家の方々が丹精こめて育んで
いった食物を、いとも簡単に食べ残すことが、いかに悪に満ちた行為であるか解ると思います。
食べ残す前に量を少なくすることが、農家の皆さんへの愛情の一つだと確信しています。
ありがとう、農家の皆さん!!
今日の帰宅電車。
02系33番編成。またVVVF車。
新宿からは
23時22分発各駅停車高幡不動行き。
20分の急行が激コミなんで、これでいいでしょ

8000系8両固定編成、最終ロットの33Fでした。
なんと、両編成とも33番編成
なんとな~く嬉しいもんです
帰りの電車
02系34番編成。
新宿からは
23時00分発なんちゃって急行高幡不動行き。
7000系のノーマル10両固定編成、27Fです。
前方はわからないけど、乗っている車両はつり革に掴まれない人が少しいるから、混雑率120%くらいかな?
千代田線からお別れが近づいてます。
どんどん新形式に座を奪われている203系です。
とうとう過半数を超えてしまいました。
常磐緩行線有名撮影地点です。
金町駅にて 2011年2月4日
冷房車が無かった千代田線に、救世主の如く登場。
しか~し、営団の車両はまだその時、冷房車ゼロ。
よって、取手~綾瀬の国鉄区間のみでの使用がしばらく続きました。
これは、営団のトンネル冷房固執体質が、地下鉄車両冷房化を遅らせてきた原因でした。
国鉄や他の民鉄が冷房車両をこぞって製作している最中に、放熱によりトンネル内が暖かくなるから、営団はトンネル内に冷房装置を設置するという、独自路線を突っ走ってました。
大都市のど真ん中を走行する、銀座線・丸の内線の新車にも、冷房装置が未搭載で登場させた程の車内冷房嫌いでしたもんね。
準備工事もされてないのが筋金入りの証拠です。
しかし、しばらすると大阪市営地下鉄なんかで実施された、車両冷房が成功している結果を踏まえて、ようやく現
実が理解できたのでしょう。
渋々ようやく冷房車を投入し始めたのが平成になってから。
話が脱線してしまいましたが、この車両が問いかけて答えを導き出してくれたのは、地下鉄の冷房化でしょう。
夕刻の陽を背に向けてラストスパート!!
2011年2月4日
常磐線 柏~北柏にて
ちなみに、側面上部には20年以上前に剥がされた痕が、未だに浮き上がって見えます。
「JNR」マークが!!!!!!!!!!!
まだ確認できます。
国鉄時代からの生え抜き電車というのが分ります。
201系の弟分みたいな性能で違うのはアルミ車体、地下生活も長いから201系より老朽化は遅いのでは??
と思ってましたが、ほぼ同時に消え行く運命だったみたいですね。意外でした。
ドアのバタバタ音が引退を早めたのかな??なん~て。
とにもかくにも、一日も長く運用してもらいたいものです。















