pandemic




はじめは何が起きているのか理解できなかった。事態が重大なのか、そうでないのかすら分からない。島国育ちのせいか、遠い国の出来事をまるで他人事のように感じていた。

感染して人々の命が奪われる?それがどれほどの危機なのか、まったく実感が湧かなかった。人は未知のものを前にするとまず判断しようとするが、答えはまだ見つからない。ワクチン、マスク、ソーシャルディスタンス、それらにまつわる多くの課題が残されたパンデミック。未だに理解しきれない。ただ、あの時多くの尊い命が失われたことだけは、心に刻み続けている。

当時、サラリーマンとして販売員をしていた私は、取引先や知人の間で話題が急速に広がっていくのを感じた。情報は早くとも、それが何の役にも立たなかった。なぜなら、このパンデミックは人類全体にじわじわと侵食していくものだったからだ。日本列島の患者数が次第に増えていき、不安を煽るニュースが連日報じられる。自宅待機を強いられる中で、家族からも不安の声が上がる。

「家にいてほしい」

そう言われるのも無理はない、誰も病気になりたくはないのだから。当時、岡山市中心部に月に何度か練習に行くのが楽しみだった。しかし、それも諦めざるを得なかった。インドも遠い存在に感じられた。正直に言うと、辛かった。一人での練習がまた始まる。孤独で、正解かどうかも分からない。ただやってみるしかない。自分の選択が正しいかどうかも分からない。それでも、やることに意義があると信じていたのかもしれない。いや、信じるしかなかった。そこに執着することでしか、自分自身を保つことができなかったのだ。

それまで、うまくいかないことがあれば時代や他人のせいにし、自分の機嫌も取れずに当たり散らしていた私を少し和らげてくれたのが、ヨガだったように思う。

「今は耐えろ、お前にはまだ早い」

そう言われていたように感じる。一見変化のないような単調な2年間が過ぎていったが、その間に徐々にパンデミックに順応していった。


お家時間🏠


つづく

私事で恐縮ですが、ブログの連載を後押ししてくださった先輩がいました。本当に未熟な私の文章を楽しみにしてくれる人がいること、そしてそのことを話してくれることに、心から感謝しています。今のこの気持ちをここに記させてください。