石上神宮を後にして向かったのは
大和神社様です。
なぜか気になり地図に丸を付けた神社さまでした。
おおやまと神社と読むそうです。
駐車場に車を止めて参道を歩いていると
美しい古代の女人の姿が視えたような気がして
よく見たら赤い棒が一定の区間ごとに並んでいたのですが
私にはこの神社には素晴らしい神様がご鎮座なさっている予感がしていました。
まったく前知識なしで訪ねることが多いものですから
自分の直観を頼りに神社めぐりをすることが多いです。
でもなぜか奇妙に
行き当たりばっちりなのが
私の神旅のいいところなんですがw
鳥居をくぐるとすぐに聞こえてきたのがガマガエルの鳴き声でした
かえるが苦手な私としては悩みどころですが
とにかくこの神社様にご挨拶しなくては前に進めなかったので
勇気を振り絞って向かいました。
鳥居をくぐるとすぐに見えてきたのが
戦艦大和ゆかりの神社の碑でした。
更に左手には戦艦ヤマト記念館があります。
神社の磐余をみますと
この神社の神様が太平洋戦争の時に沖縄近海で沈没した
戦艦大和にお札を祀った神社様だということがわかりました。
御祭神は大国魂大神。八千矛の神。御歳大神。
ただし、やちほこのかみと大国魂大神は
どちらも大国主神の異名だそうです。
3度の臨死体験をして昨年惜しくも天上界にお帰りになった
木内鶴彦さんによると
大国主神は元をただせば須佐之男命様を表しているのだそうです。
そして日本の国を作った偉大な神であったと説かれていました。
私の住む岩手は自然崇拝の蝦夷の民の国でしたが
大和朝廷が進出しそれまでの自然崇拝から
大和の神々に替えられた歴史があります
今回の旅で古代の大和の神々を周っているわけですが
大和の国の中でも古代からの信仰の流れに大きな変化があったのかもしれないと
この大和神社を参拝して感じました。
また伊勢の大神様を伊勢にお鎮まりいただくために
諸国を行脚した崇神天皇の皇女 豊鋤入理姫が
倭の穴磯邑(現在の比定地が檜原神社とされています)・・・元伊勢と呼ばれている神社様
に移されたのがこの神社の創建にあたるそうです。
わたしにとっても縁の深い倭姫様の物語にもつながるので
奈良で伊勢を感じることができたのも非常に大きな喜びとなりました。
本殿をお参りした後に
横にある赤い鳥居の神社がひときわ目を引きます。
そこはなんと!高龗神社の総本社様がご鎮座なさってました。
神社わきには雨師・・あまし
と磐座・・いわくら
がありました。
雨師は中国の神、雨師(うし)の影響を受けたようで、
祈雨止雨の神らしく
高龗神と似た神格を持つそうです。
磐座がそばに祀られているのも
古代の宗教戦争の名残のような気持ちがしたのは私だけでしょうか?
また神社脇にあった表書きには次のようにありました。
高龗神社 祈雨神祭について
全国総本社
大和神社の摂社である御祭神は雨師大神
即ち水神様で、
崇神天皇のとき渟名城入姫命をして
穂積長柄岬(現新泉星山)に創祀される。
古来六月一日、十年に一度の大祭には、
和歌山・吉野・宇陀その他近在邑々から
千人余りも参拝者の列が続いたとある。
先頭に丹生川上神社中・下社が金御幣を持ち
後尾は末社の狭井神社が勤めた。
茅原上つ道を経て、箸墓裾で休憩。
大倭柳本邑に入り長岡岬、
大市坐皇女渟名城入姫斎持御前の井戸で祓い清める。
神職は輿と共に神橋を渡り大和神社に入る。
一般の人達は宿から一番鶏が鳴くと
倭市磯池に体を清め笠縫邑から神社へ向かう。
社は古代伊勢神宮と同じ建築様式で、
江戸時代の建立になる。
その後、戦艦大和の記念館に足を運びました。
私の母方の祖父はニューギニアで戦死しています。
今回ばかりではなく、戦争の記念館を訪ねると
胸がキューンと締め付けられるような気持になります。
世界では今も戦闘状態にある国があります。
須佐之男命様は純粋な日本人として
この国をデザインし八人の御子たちを遣いこの国を治めました。
その願いは
この世の自然が守られること
人々が平和で楽しく豊かに暮らせること
この二つでした。
戦艦大和記念館で私は静かに手を合わせました。
ここでもう胸がいっぱいになった私は
銀座まるかんの斎藤一人さんの
名代一位指名である
舛岡はなゑ社長のファンクラブ
通称 朱雀会の仲間達に
檄文を唱えてくれるようにお願いしました。
先の大戦で志半ばで散っていった英霊達に捧げます。