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2024有松絞りまつり 行ってきました。すごい賑わいでした!
絞り実演や絞り十二単、うだつの上がった屋根も見つけてきました♪
有松町は、織田信長が今川義元との合戦で有名な桶狭間の一区画にできた町で、東海道ができ、旅人が通行するのに人家がないと物騒であるということで、尾州藩が町づくりを奨励したうちの一つです。
慶長年間以後、竹田庄九郎武則以下8名が知多郡の阿久比という村から移住し、有松の村を興したのですが、有松は粘土層の土地で農耕に不向きでした。
そんな時(1610年)名古屋城の築城が始められ、竹田庄九郎もこれに参加したのですが、
加藤清正が九州から連れてきた人夫のなかに豊後絞りのものを身に着けていた者がいて、生業を探していた庄九郎がこの絞りに着目し作り始めたのが、有松絞りの起こりということになっています。少し時代のずれがあるようですが...
動画はInstagramには貼り付けられたのですが、ブログでは消えてしまいます?あれれ?
鹿の子台(鹿の子絞り)、巻き上げの台(巻き上げ絞り)、三浦の台(三浦絞り)、鳴箭めいせん台(竜巻絞り、手筋絞り)、コロ(鹿の子絞りの糸巻き)、くだ(手蜘蛛絞りの糸巻き)手廻し蜘蛛の器具を使って、より早く、手際よさを見せていただけました。
うろうろ見学していますと、「有松・鳴海絞りと言うけど、何が違うの?」とどこからか聞こえてきたのですが、、、
鳴海絞りと有松絞りの違いは、有松町にある絞り製造卸業者から出荷される絞りは〈有松絞り〉という表示、鳴海町にある絞り製造卸業者から出荷される絞りは〈鳴海絞り〉といわれていて、特に有松絞り、鳴海絞りという区別はありません。
まるで同じものを作っているわけですが、ただその製造元の所在地によって名称が違うということです。
「うだつが上がらない」の語源で、商家などで隣の家との境に設ける防火壁のことを「うだつ」といいますが、そのうだつを高く上げることを繁栄のしるしでほとんど装飾的な意味合いです。
江戸時代には尾張藩の産業として有松の中の特定業者のみに絞り製造卸業が行われるようになり、他の町よりは裕福でインフラも整っていました。
日本では綿布が国産化されて間がなく綿布は大変希少なものでしたし、東海道という日本のメインストリートに面して人々の往来が頻繁であったことなどから、街道を行き交う旅人に絞り染めの手拭いを創って売り出したところ人気が出て一躍街道の名物になったということで、儲かったんだろうな!
当時の皇太子殿下、雅子さまのご成婚を記念して制作された 絞り十二単
心惹かれる浴衣は今回出逢えなかったのですが、夫はいろんな技法を見れて楽しかった!と喜んでました。行きたかったんだって 笑
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