教えて貰えなかったコンプレックスの人が

じゃあ代わりに自分の時は教えよう!

ってならないの不思議だなぁ


何故、自分の「道」に対して復讐するんだろう?


何故、憎い師匠と同じ轍を踏むのだ?

それが、その道の流儀なのだろうか?



私の絵の師匠、


人間としては、かなり問題ありだったけど



教える、に関しては、今でも尊敬してた


教えるのが非常に上手い、のだ



かなり言語化して


マニュアル化してくれる人だった


私が受験時代に何故、言語化しないのか?

という点にすごく不信感があった

ある程度、「型」というものが存在してるのに

まずはスタート地点を作る、


っと、


そのおかげで浪人が普通のなか

無名の予備校から現役合格出来たから

やはりある程度の言語化がするって大事だ


まぁ、マニュアル化に縛られると苦しむことを

将来的に分かっているから

「守破離」を意識してやっていけば良いこと



というか人の技を見て、真似て盗む、なんて

正直、後々いつでも出来る


そして何より


ある程度の知識が無いと

真似て盗む、なんて高等手段は出来ないから


他の人も見て、真似て、盗んで習得するだろう


っという考えは師の怠慢だと思う、才能ないとさえ思う



何より色んな業界を見てきたけど、


言語化に勤めない文化は廃れる



文化の促進、繁栄を願うならば


言語化をする努力を務めるもの、なのだろうな


反面教師として記しておく_φ(・_・



なぜならば「教える」とは


師である自分が1番「教わる」ということを


体験出来るからね


師が1番の教え子になれるのに


まさか、上達させる気がないのか?

それならそれで腑に落ちる


あはは🤣これでは陰謀論だから辞めておこう


全部、冗談です