念の可視性と可聴性について | ばんぶーのブログ

念の可視性と可聴性について

◆念の可視性と可聴性について

平たく言えば、念が、視えるかどうか聴こえるかどうか、ということ。

例題として、キルアの発は非能力者でも視えるのか、そして「バチッ」という音は聴こえるのか

 

最終的に断定的な答えは出せないものの、意外と想像通りの答えで確定ではないと思われる。

各々、予め答えを出した上で以下に進んで貰えるとブログ主としては嬉しい。

 

◇念の可視性

恐らく今回のテーマは変化系具現化系の能力を考えるにあたり、ぶつかる壁かと思われる。

 

端的に言えば、

変化系=オーラに性質を付加する事が得意な系統(完成品=性質が増えた“オーラ”)

具現化系=オーラを元に思念の物質化が得意な系統(完成品=物質)

であるため非能力者には変化系能力は視えない」現化系能力は視える」というのが原則的な答えであろう。

 

しかしそうだとしても、その2つを読者視点ではどの様に見分ければよいのか。

 

個人的にはその能力の輪郭線がオーラの様相を呈しているかどうかが、変化系具現化系の区別の1つになりうるかと考えている。

変化系能力は端的に言えばオーラの性質を変えている(性質変化)とも表現出来るが、実質的には性質の付加(性質付加)であるため、“オーラ”であることには変わりないのである。

「電気の性質の持つオーラ」であったり「ゴムとガムの性質を持つオーラ」に過ぎず、オーラを「電気」や「ゴム」や「ガム」等に“作り変えている”わけではない

そのため、変化系能力はその輪郭線がオーラの様相を呈していると言えそうだ。

 

対して具現化系能力は基本的には物質化しているため、その能力の輪郭線はオーラの様相を呈していないので比較的わかりやすい様に思われる。

 

もし現実世界に念があったなら、(例えば片目だけ)「絶」状態でそれが視えるかどうかでその2つの系統のどちらなのか判別がつきそうな気もするが、そう簡単なものでもなさそうだ。

 

と言うのも原則には例外が付き物であり、具現化物は非能力者にも視えるのが原則であるものの、

具現化物は“オーラ物”であるためか、「隠」非能力者に見えない様にすることも可能であったり、

「11人いる!(サイレントマジョリティー)の様に“術者と特定の相手”以外には視えなかったり

カキンの守護霊獣の様に「隠」で非能力者+“特定の者(儀式の当事者間)”には視えなかったり

ムッセの「裏窓の鳥(シークレットウィンドウ)ミミズクの様に術者にしか視えない様な特殊な具現化物も作中で示されているからだ。

 

―さて、ここからが今回の本題。

「電気」「炎」の様なものをそれぞれ変化系具現化系で能力とした場合、どう違うのか。

具現化系ではその様な能力は作中未出の様にも思われるものの、毒の性質付加が可能ならば毒の具現も可能であろうことから、電気の性質付加が可能ならば電気の具現も可能の様に思われる。

 

オーラという「生命エネルギー」「別のエネルギー」に変換している(作り変えている?)様な感じになるのだろうが、具現化系能力は“物質”だけでなく、“エネルギー”や“現象”も具現可能ということになるのだろう。

余談にはなるが、その様に考えるとゲンスルーの「一握りの火薬(リトルフラワー)“爆弾の性質付加”“爆弾”の具現ではなく、“爆発”の具現という解釈や、フェイタンの「太陽に灼かれて(ライジングサン)“疑似太陽”の具現なんていう解釈も採りえるのかもしれない。

ウイングの説明では「オーラを“物質化”する」系統

イズナビの説明でも「オーラを“物質化”するのが得意なタイプ」

といった感じに抑えられているが―オーラではなく肉体を元に具現する能力が登場した様に―あくまで両者の説明は読者を含めた初学者向けの概論的なものに過ぎないのだろう。

(※そもそも水見式で変化系具現化も、“オーラだけではなく物体にも作用しうる”ことが示されていた)

 

今回のテーマでは本筋ではないため、ひとまず「電気」や「炎」の能力は変化系でも具現化系でも実現可能だとするが、果たしてそれは視えるのか視えないのか、そして読者はどう見分ければ良いのか。

少なくとも読者目線では輪郭線だけでの区別は難しいだろう。

 

登場人物視点でも特殊な具現化例は除くとしても「原則」としては―

変化系性質付加された“オーラ”のため視えず

具現化系具現化された“現象”だから視える

―となりそうだが、一部の方は恐らく瞬間的に“非能力者であっても変化系の電気の能力も視える”と考えることが多いだろう。

例題の答え1:非能力者にはキルアの周囲のオーラは視えないが、手の間を走る電気や音は聴こえる?(パターン1)

 

ここで理科の話をしたい訳ではないため簡単に触れるが、電気で見られる様な発光やバチバチっという音物理現象なのだ。

■■■理科の復習■■■

電気とは簡単に言えば、目に見えない電子の流れによって発生する様々な物理現象の総称の様なもので、一例として雷の原理に触れる。

雲の中にはたくさんの水蒸気が含まれているが、その雲が上昇気流で空高く上がっていくと入道雲に発達する。

空高く上っていった入道雲の中では温度が低下していき、雲の中の水蒸気が上昇気流で上っていく過程でその水の粒が氷の粒に変わっていく。

雲の上の方へ上っていく小さい氷の粒と、他の氷の粒や水滴とくっついて大きくなり落下する粒同士がぶつかると電子のやり取りが起きて電気を帯びていき、最後は雲の中で蓄えきれなくなった電気が地面に向かって一気に流れてしまう。

通常、空気は電気を通さないが、雷の力は強力なため無理矢理空気の中をかき分けるように進んで行くから真っすぐ進めずにギザギザに見え、瞬間的に空気が熱くなり激しく震えることが雷の光と音となっている。

つまり、雷や放電を見て“電気が見えている”と感じているが、実際は電気が見えているのではなく、電気の素とも言える電子の働きで空気等が熱されて光ったり、その時の膨張や振動によって音が生じていて、それを感じ取っているだけなのだ。

■■■復習終わり■■■

しかし「“電気の能力”」と端的に言えるからと言って、そのままそれを現実の“電気”と同一視しても良いのか

 

例えば、2人の変化系能力者で考えてみる。

1人は理系専攻の学生で子供の頃からその力に憧れ、学ぶ内に心酔し、自らのオーラに電気の性質を付加させた様な場合。

もう1人はアマゾンの奥地にある様な未開の地に住む先住民が、ある日その地域では神聖視されていた雷に打たれたが生存し、自らの体に神が宿ったと考え、自らのオーラに電気の性質を付加させた様な場合、果たして両者の能力に差はないのだろうか。

 

前者の場合、“雷に心酔”していることから、学んだ雷の性質をそのまま自らのオーラに付加している可能性もあろう。

(パターン1=非能力者でもその雷は視えるし、その音も聴こえる?)

 

しかし、後者の場合はどうだろうか。

最近流行りのなろう系でありがちな「世界の理(アナウンス)」の判断や調整を受ける訳でもなく、念はあくまで“術者の思念を反映させている”に過ぎない。

つまり、科学的知識の欠如から実際の雷と比べ“性質の過不足”もあるだろうし、その地域で信仰の対象となっている神の性質や、その者の信仰の内容の影響を受け“変質”している可能性もあるだろう。

例えば、雷は「神の持つ絶対的な力」を「意思を持たない自然」を介したために誰にでも見える様な自体に陥ったが、「本来、神の御力は選ばれた者にしか見えず、凡夫にはその一部(声や音)のみしか感じ取ることが出来ない」等と考えているならば―、

例題の答え2:非能力者にはキルアの周囲のオーラも手の間を走る電気も視えないが、音は聴こえる?(パターン2)

―バチっという音のみ聴こえている可能性もあろう。

 

術者の考える電気の性質を付加した“オーラ”(=電気の様なもの、即ち≒電気、あるいは≠電気)非能力者に視えないというのは原則通りだろうが

“人にかける念があるのだから、逆にはずす念も存在すると考えるのは至極自然な発想”

とクラピカが「反対解釈」を念の解釈手法と用いていたことから、“「隠」の逆”「オーラを見やすくする(≒強制可視?)の力がないとも現時点では断言出来ないだろう。

(作中未出のため、あまり好ましい解釈ではないだろうが)

 

そして当然このような変質は具現化系能力者の場合も起きえる。

実際にある物をそのまま具現するならば実物(超強力なスタンガンや兵器等)を買った方がいい様に、雷(電気)の性質を正しく認識していたとしても、敢えて実際の雷(電気)の性質を一部削ったり、逆に特殊効果を付与した結果、実物とは性質が異なる可能性もあるだろう。

(もちろん削除or追加する効果によって能力のコストは大きく変わると思われる)

 

つまり、「電気の能力」だからと言って、それが現実の「電気」と同一のものではない可能性の方がむしろ高い様に思われるのだ。

 

読者目線ではその能力だけを見ただけでは変化系具現化系か判断が難しいケースもあろう。

描写によっては一見明らかな能力もあろうが、術者の念系統が作中で明確になっていない場合は特に1描写だけでなく、複数の描写や情報から判断する必要があると思われる。

 

◇念の可聴性

続いてオーラや具現化物(念獣等)の出す音は非能力者でも聞こえるのか

これも科学的に考えれば、音は物体の振動よって起きる波が空気などを伝って、鼓膜を振動させてそれを脳が音に変換することで音と認識していることから、キルアの発(電気)が見えるかどうかを考えた時と同様に、物理現象のため能力者如何に関わらず「聴こえる」と考える方も多いだろう。

 

だが念の可聴性については作中で描写されているのだ。

まずモモゼの霊獣について。

寄生型(恐らく二重寄生型)の念獣の言葉のため、特殊な具現物故の例外の様にも思われたが、

“「念獣の声が聞こえる事」が発動の条件なら、王子達をはじめ能力者でない者には効かない能力…!?”

とクラピカ大先生は考えていた。

この言葉をそのまま採れば、念獣の声は非能力者には聴こえないということになるのでしょう。

 

ただ、これは先日の操作系能力の箇所でも若干触れたが想定通りではある。

約10年程前に香川大学の澤田教授の研究室で開発された「発話ロボット」をふと思い出すが、念獣が言葉を発しているならば、言葉を発する念獣を具現する場合は複雑な発声器官の理解が必須になってしまう可能性がある(※特殊な具現化系能力や、特質系の具現化物はその理解が必要ない可能性もある)

 

しかし、これまで「能力の説明(ゲンスルー)「ヒント(ナックル)を敵に与えることで能力の底上げを図っている者(=制約と誓約)が居たが、言語が違ったり、病気や怪我で一時的に耳の聞こえない者あるいは先天的に耳が聞こえない者、はたまた周囲の音で偶然重要な部分が聞こえなかった様な場合でも、その制約と誓約による上昇効果は得られるのだろうか。

 

ゲンスルーに関しては事前に相手が同じ言語で通じることは分かっており、説明前の仲間の演説を聴く様子から通常の肉声で良いことは判断できるだろうが、事前に相手の情報がわからぬまま戦闘に入る場合もあるだろう。

相手が何らかの不可抗力で説明ヒントのアナウンスを理解できない場合でも制約と誓約の効果が得られるならば、最初から相手が理解し得ない“造語”“入れ詞(ex.バビ語)による説明でも成立してしまう。

レオリオがお勧めしていたビートル07型の機能からもハンターの世界にも複数の言語があることが示されているため、念能力には相手への強制通知や、コミュニケーションを助ける様な力もあるのかと思われる。

クラピカの「人差し指の絶対時間(ステルスドルフィン)オイトの“頭と直接交信”していたのもその一種で、

正に念獣が排気口に入らんとする時に始めたドルフィンの説明が、排気口に入る前には終わっているため、その手の能力は瞬時に相手に通知することも出来る(心滴拳聴に類する現象を強制的に引き起こしている?)のかと思われる。

 

適当に「呪言(じゅごん)と呼ぶが、その様な力があれば複雑な発声器官の理解とその具現も必要なく念獣に言葉を発せさせることも可能で、実際に音を出しているわけではないから念能力者以外には聴こえないという事も理解できよう。

(恐らく性質的に強制的に非能力者にも念獣の声を伝える方法もあるかと思われるが、コストが高いか、相手を半覚醒状態にする必要があるのかもしれない)

 

しかし、その一方で暫定37巻(No.381)にて、またそれとは違うタイプが示されているのだ。

ベンジャミンの私設兵・ウショウヒの能力「虫射球(ニードルボール)(以下、“虫球”と省略)である。

ウショウヒの能力は完全には分かっていないものの、描写的に虫球具現物であろう。

 

そして、この虫球“簡易念能力者判別装置”としても使えると考えているのだ。

“耳元で羽音がしたのに無反応でいられる人間は皆無”なため、その羽音に反応した者=念能力者と判別できるということなのだろう。

 

相手に憑ける様なタイプのため“特殊な具現物(特定の者にしか視えない等)ならば“特殊な事例”として処理しても良かったのだろうが、ウショウヒは“第11王子(フウゲツ)に憑いているのを他の念能力者に見つからずに済んだのだからラッキー”と考えていた。

 

つまり、虫球は基本的には常時「隠」型の具現物で非能力者には視えず、能力者には視えるタイプかと思われる。

(非能力者を装っている者=「纏」をしていない者に羽音を聴かせる必要があるため、緩めの「隠」もしくは羽音を聴かせる一瞬だけ「隠」を解くなどしている?=遠隔操作型)

しかし科学的に考えれば物質化した虫球が羽ばたいて音を発生させているのだから―視覚的には「隠」で視えなかったとしても―音(波)は非能力者にも届く(聴こえる)のではなかろうか。

 

よって、特殊な具現物の可能性は残っているものの、“念(具現化物含む)が起こした音”は基本的には“特殊な音域(念能力者でないと聴き取れない音域)”のため非能力者には聴こえないのかもしれない。

ウショウヒのケースも、わざわざ羽音を聴かせるために緩めの「隠」にするとか、一瞬「隠」を解くなどしなくても、念能力者は「絶」状態でも体内にオーラが巡っており、念に目覚めたことによって、念を“視たり”“感じたり”出来るようになった様に、脳の機能が向上して(?)“特殊な音域(念が出す音)も音として認識出来る様になっているという様な仕組みなのかもしれない。

 

ウボォーの爆音攻撃は、

実際に“発した音”音波の働きを強めた攻撃(強化)であろうから、非能力者であっても聴こえるだろうし、

センリツの能力も実際の“楽器の演奏の音”と共に自らオーラを飛ばして、そのオーラ(生命エネルギー)を相手に譲渡して回復させたり、強化系や操作系を併用する様な能力なのだろうが、これも実際の音を伴っているため非能力者であっても聴こえるだろう。

 

しかしキルアの電気の能力の「バチッ」という音は―

例題の答え3:非能力者にはキルアの周囲のオーラも手の間を走る電気も視えず、音も聴こえない?(パターン3)

―「電気の性質を付加した“オーラ”」が発している音(特殊な音域)のため、聴こえない可能性もあるのだろう。

 

同様の考えで、

モラウが“針で突き刺されてるみてーな研磨されたオーラ”と評したネテロの「練」が奏でる音や、

ゴンさんのジャジャン拳グー時の「鋸で鋼の弦を弾くかの様な硬質な不協和音」も、多量のオーラを練り込んで圧縮した結果、オーラとオーラが擦り合わさって生まれる音だろうから非能力者には聴こえない可能性もあろう。

 

以上の事から現状では、例題のキルアの発が非能力者でも視えるか聴こえるか、という問題の答えを出すのは―

―難しい様にも思われる。

 

個人的にはユピーが「落雷(ナルカミ)を受けた時の様子から、

パターン3(非能力者は電撃も視えず音も聴こえず)の様な気もしている。

 

まず、情報整理。

ラモット戦での使い方から見ても「落雷(ナルカミ)は、ゴンの「ジャジャン拳チー(変化)と同質の発で、指先に集めた全オーラ(「硬」)に電気の性質付加を行って放つ発かと思われる。

「落雷(ナルカミ)を放った際にキルアの周囲に残るオーラ描写はメレオロンの「神の共犯者」によるもので、

「落雷(ナルカミ)が当たった直後ではそのオーラ描写が消えているためこの時には「神の共犯者」は一旦解除(一呼吸)しているのかと思われる。

(ユピーは麻痺により動けず、その隙をナックルが攻めないハズもなく、メレオロンが呼吸する余裕が十分あるためだろう)

そのため、ヒット直後のユピーの周囲の放電はユピーにも、ナックルにも視えているかと思われる。

しかし、メレオロンの「神の共犯者」はメレオロンが手を触れている者には適用されるが、メレオロンから離れてしまった地面に落ちた血液には効果が及ばない。

しかしながら、ユピーが電撃をどこから受けたか明確に分からなかった様子から、「落雷(ナルカミ)が落ちた瞬間の“光”“ドンという音”を認識出来ていないのかと思われるのだ。

 

もし雷を科学的に捉えたならばその“光”“音”は―モラウの血液の様に―メレオロンから“離れている”ため能力の適用外になるのではなかろうか(=ユピーにも視えるし聴こえる)

つまり、メレオロンの手キルア自身とそのオーラ(電気の性質が付与された“オーラ”)に接触しているため視えず(認識できず)、そのオーラが発している音(オーラ由来の特定の周波数)も同じく適用されて聴こえない(認識できない)のではなかろうか。

以上のことから、パターン3(非能力者は電撃も視えず音も聴こえず)が例題の答えの様にも感じます。

 

一方で、例えば「神の共犯者」が適用された者が拳銃を撃った場合、その際の発砲音が周囲の者に聴こえるかどうかは不明のため、やはり例題の明確な答えを出すにはやや情報不足なのかもしれませんね。

 

まだ容量内に収まりそうなので、最後にちょっと関連のあるものを2つ。

1つ目、ゼノの龍に乗れる理由について

ゼノの龍は輪郭線の描写から変化系であろう。

そして、「龍頭戯画(ドラゴンヘッド)から「牙突(ドラゴンランス)「龍星群(ドラゴンダイヴ)と発展させた様に、オーラを絵具(墨?)に見立て「龍頭戯画(ドラゴンヘッド)で描いた龍の内容によって、能力が派生するのかと思われる。

龍のを強く描けば「牙突(ドラゴンランス)(“牙”の様に相手を貫く性質の付加)

龍のを強く描けば相手を切り裂き(“爪”の様に相手を引っ掻く=切る性質の付加:作中未出)、

巨大な龍とそのを描いて空から打ち落とせは、恐らく「龍星群(ドラゴンダイヴ)に派生できよう。

そして王とネテロを目的地に運んだ際は他の龍に比べ鱗の描写が細かくなっている様に思われることから、付加した性質は龍の“鱗”かと思われる。

龍鱗で何を想像するかは人それぞれだろうが、ゲームの「ドラゴンシールド(龍鱗を防御面に張り付けた盾)の様に龍鱗には何かを防ぐ効果が高いと思われる。炎に強そうなイメージもあるが、硬い龍の鱗を用いた盾は通常の盾よりも強いイメージがある。

そして物理的に防ぐ障壁になるということは、“その上に乗る”ことも出来るのではなかろうか(どちらかと言えば「防御用の発」の副産物?)

 

ちなみにゼノの龍は“龍の性質を付加したオーラのため、非能力者には視えないが、件の龍は非能力者も乗ることができるかと思われる。

 

2つ目が、物体を元”に変化系能力や具現化系能力を用いた場合の可視性について

“オーラを元”にした具現化物は「隠」で非能力者に視えない様にすることが可能だと示されているが、

ツボネの「大和撫子七変化(ライダーズハイ)の様に「元々視える物体」を元にした具現化物も「隠」で非能力者に視えない様にできるかは定かではない。

加えて、水見式から変化系能力オーラだけでなく物体にもその影響を及ぼせるかと思われるが、その場合もどうなるのかは定かではない(例:肉体にオーラの性質を加え変形する=作中未出?)

 

個人的にはどちらもあり得る様に思われる。

変化系能力具現化系能力の2つの系統の違いは、

前者「元(素材)の性質+別の性質(思念)=別の性質を持った元(素材)であるのに対して、

後者「元(素材)+思念=新しい“モノ”」

と、性質の付加創出(作り変え?)なのだろう。

 

つまり、変化系能力元々視える物体別の性質を付加しても、新たな性質を持った物体のため、「隠」しても存在感が薄くなる程度で、非能力者でも視えてしまうように思われる。

その一方で、物体(非能力者でも視える)オーラ(非能力者には視えない)の性質の付加した場合どうなるのか。

ヒソカの「伸縮自在の愛(バンジーガム)はオーラにガムとゴムの両方の性質を付加しているが、その時々で“ガム”の性質の方が強かったり、“ゴム”の性質が強かったりと、性質をスイッチさせている様に思われる。

ヒソカのケースは付加した性質をスイッチさせているが、元々の性質新たな性質をスイッチさせる様なことができるならば、物体変化系能力を用いた場合、付加した性質によっては視えなくさせることもできるの“かも”しれない。

 

具現化系能力の場合は、オーラ(非能力者には視えない)を元に具現した場合、オーラ物であるためか、「隠」した場合は非能力者は視えなくすることもできるが、それは素材の性質を残している(引き摺られている?)ためと言えるのかもしれない。

つまり、物体(非能力者でも視える)を元に具現して、「隠」したとしても素材の性質(非能力者でも視える)から、「隠」しても存在感が薄くなる程度で、非能力者でも視えてしまうように思われる。

一方で、具現化系能力新たなモノの“創出”とも言えるだろうから、素材の性質に関わらず非能力者に視えないモノとして具現化することも出来るかと思われる。

 

つまり結論としては、どちらも出来得るのだろうが―特殊な具現化物がそうであった様に―原則から離れる分だけ余計にエネルギーを用いるであろうことから、実際に各々の能力者がそうするかしないかはその能力の目的能力者のレベルによって変わってくるのではなかろうか。

 

最後に。

変化系と具現化の可視性・可聴性は意外と難しいと思います。

そもそもの能力者がどう考えているかによっても答えは変わってしまうでしょう。

(無知の不知が原因であったり、既知だが使い勝手や汎用性のための恣意的に過不足させている可能性もありえる)

また、漫画の描写故に読者目線では判断が付きにくかったり、場合によっては作者側の認識違いでチグハグになってしまっている様に感じることもあるかもしれません。

しかし、“念”は想像以上に上手く出来ており、各描写も繋がることの方が多い様に感じます。

作者ミスありきで考えるのではなく、どう繋がるか、どう繋げるかで考え始めると、ハンターハンターはより一層楽しい作品になると思います。

 

それにしても休載も長いので書くネタに困るかと思いきや、意外とたくさんあるので不思議です。

今はコロナ禍もあって時間に余裕があるから、早い内に再開してくれたら嬉しいんだけどなぁ…。