前衛的な作風で熱い共感と強い拒絶をもたらしてきた
ギャスパー・ノエ監督。
7年ぶりの新作は東京を舞台にしている。
彼の目に映る東京であるから、むろん尋常な描かれ方ではありえない。
主人公オスカーは仕事のあてもなく来日し、すっかり麻薬におぼれている。
薬を売った金で妹リンダを呼び寄せ、アパートで同居している。
最大の特徴は、全編がオスカーの主観映像で作られている点である。
主観映像とは、登場人物の見ている視界それ自体を映像化したもの。
小説で言えば一人称の語り。
観客はオスカーの体験を我がことのように追体験できる。
ただ、人間の視界は映像にすると視点が揺れて、見づらい。
主人公の視点だから本人が映らないのも締まらない。
監督はそこで荒業を見せる。
30分もたたないうちに、オスカーを殺してしまうのだ。
彼の魂は肉体を離れ、彼の視界は時空間を自由に飛び回る。
自身の人生を回想し、生き残った人間たちの営為をのぞく。
もはやそれは普通の映像と変わりないのだが、主観映像だという
約束が前半で出来ており、観客はオスカーの視線で見ている気分が続く。
冒頭、オスカーは「天国から東京を見たい」と話す。
後半でそれが実現することになる。
夜の歓楽街、遊園地、東京タワー。
ギャスパーの東京は、どぎついネオンのシャワーが降り注ぐ、
麻薬と性に満ちあふれた魔都である。
天国から見ているというよりも、むしろ天国そのものなのか。
この映画には、麻薬でトリップした時に見る抽象的な幻覚映像が
何度も登場する。
しかしそんなものより、夜の東京の風景の方がはるかにトリップした
幻覚であることを、この異国の監督は教えてくれている。
15日から東京・新宿のシネマスクエアとうきゅう他で。