そんなこんなで、
娘のポスター制作に口を出しまくり、
最終的には母が発狂しかけた在宅ワークの日![]()
![]()
![]()
そのまま週末が終わり、出社した日のこと🏢
職場に、娘と同じ年齢の娘ちゃんがいる年下の同僚ちゃんがいます![]()
この子、私とは結構ものの見方が違うんです![]()
![]()
![]()
![]()
だからこそ、
「そういう考え方もあるのか
」
と思わせてもらうことが多くて![]()
![]()
私はすごく信頼しているし、心から尊敬している存在です![]()
![]()
![]()
そんな彼女に、
「こないだ在宅ワーク🏠️しながら夏休みのポスター描くの相手してたら、発狂してさ、、
」
とぼやきました。
「筆の運び方とか、水の量とか。
何回言っても分からんし……。
もう、めっちゃイライラしてしまって
」
すると彼女。
「いやー。真剣に向き合うからですよ
」
そして、さらっと続けて一言。
「イライラしたいんですよ〜、〇〇さんが
」
……え?
「そんな、期待通りになんていかないですから
」
…………。
雷に打たれた気分でした![]()
「イライラしたい」って何![]()
![]()
![]()
私はイライラしたくてイライラしてるわけじゃない![]()
……と、一瞬思ったんですが。
よく考えてみると
「これくらいできるでしょ」
「こうやって塗ったらキレイになるのに」
「さっき言ったんだから、次はできるでしょ」
「せっかく描くなら、ちゃんと仕上げてほしい」
私の中には、
娘に対する小さな「期待」がたくさんあったんですよね![]()
そして、
その期待通りにならないところを見つけて、イライラする![]()
娘がイライラさせているんじゃなくて、
私が勝手に期待して、
それと現実との違いを見つけて、
イライラしていた
なんだかアドラー心理学っぽい考え方だなぁと思いました![]()
前回の記事にも書いたけれど、
私はもともと、こだわりが強いタイプ。
子どもの頃も、
「こう描きたい」
というイメージ通りに自分が描けないことにイライラしていました![]()
![]()
それが大人になった今。
今度は、
「私が思い描くように娘が描けない」ことにイライラしていた![]()
![]()
そりゃ、思い通りになんていかないよなぁ。
だって、
私の作品じゃなくて、娘の作品なんだから
そして何より、
娘は私に
「キレイな絵を完成させて」
と頼んだわけじゃない。
「この絵、どうしたらいい
」
と困って聞いてきたなら、一緒に考えればいい。
でも、本人が満足して描いているなら、
それは娘にとっての「できた![]()
」であって。
そこに私が、
「もっとこうしたら」
「ここ違うよ」
と、自分の正解を重ねなくてもよかったんですよね![]()
たった一言、
「イライラしたいんですよ
」
と言われただけなのに
自分の中で、いろんなことがつながった気がしました![]()
![]()
![]()
そして、
こういうことをズバッと言ってもらえるって、ありがたいなぁ。
とも思いました。
「大変だったね」
「分かる、イライラするよね」
と言ってもらうのも、もちろん嬉しい🥲
でも、
自分ではまったく見えていなかったところを、
違う角度から、
「いや、それってこうじゃない
」
と言ってくれる人がいる。
しかも、
それを素直に受け取れるくらい信頼できる相手がいる。
これって結構、ありがたいことだと思うんです![]()
これまでの人生でも、
誰かにかけてもらった何気ない一言が、
何年経ってもふとした瞬間に蘇ってくることがあります。
今回の、
「イライラしたいんですよ
」
も、
きっとそんな言葉のひとつになる気がしています![]()
次に娘の何かを見て、
「なんで
」
「さっき言ったやん
」
となったとき。
一回、自分に聞いてみよう。
私、今また「期待通り」を探してない![]()
……まあ、
それで毎回イライラしなくなるほど、
母も簡単にはできてませんけどね![]()
![]()
でも、
気づけただけでも一歩前進![]()
夏休みのポスター制作。
娘の宿題でもない任意のコンテストだったのに、
思いがけず母のほうが、
ひとつ宿題をもらった出来事になりました![]()