過去のことを振り返って

 

小さい頃の感情や

母親のことを思い返してみると

 

改めて母は特別な存在なのだ

ということに気がついてしまった

 

 

先日70歳の誕生日を迎えて

父と犬2匹と元気に暮らしている

 

 

父と母は若い頃に知り合って

結婚をして

 

姉を22歳の時に産み

私を24歳で産んでいる

 
母は3人姉妹の末っ子で
おじいちゃんにかわいがられて
育ったようだ
 
生真面目で
ずるがしこさはなく
明るく
可愛らしい
 
ブランド物には縁がないが
オシャレに気をつかい
年齢よりも若々しくみえる
 
 
結婚をするまでは
美容師をやっていたので
小さい頃の私の髪の毛は
編み込みなどで
かわいく結われていた
 
 
夏は庭に出て
花や野菜を育てることが
生きがいのようだ
 
鳳仙花(ほうせんか)の花の種が
はじけ飛ぶのを
「おもしろい」と興味津々にみていた姿が
なんとも乙女のようで
かわいいと思った

 

 

若い時の子育ては

大変だっただろうと想像する

ちゃんと育てなくてはと気をはって

“ちゃんと”とは何なのかもわからずに

「ちゃんとしなさい」と言うことしか

できなかったのだと思う

 

 

特別な存在の母に

もっと甘えたい

受け入れてもらいたい

大切にされたい

力になりたい

わかりあいたい

認めてもらいたい

 

 

無意識にそう思ってしまうことは

不思議ではない

 

 

こうして過去の母への思いが

昇華されて

特別な存在だと認識するようになった

 

 

今は穏やかで純粋に

母の望みを叶えたいと

心の底から湧き上がる

 

 

特別な存在だと気づいて

認めることができてよかった

 

 

とてもスッキリとした気分だ

 

 

 

 

高校生になった頃

 

母がまた私に腹を立て怒り

 

顔も見たくない

という感じだったのか

 

私は床に顔を伏せたまま
泣き終わっていた場面があった
 

 

友達の親が子供のことを心配している

という説明を私がしたのか?

何があったかはよく覚えていないが

 

とにかく

 

親が子供のことを心配しているという

言葉に母が反応した

 

そして

そーだ、そーだと言わんばかりに

その言葉に便乗して

 

 

「親が子供のこと心配しないわけないしょ!

そんなこともわからないのか!」

 

 

 

とまた私を責めた

 

 

子供のことを心配しているだなんて

母の口から

一度も聞いたことがない

子供の私には憎いとしか

伝わっていない

 

 

「あなたのことが
大切だから
心配なんだよ」
 
 
くらいに
わかりやすい言葉で、
優しい目で言ってくれたら
 
 
当時の私には
“愛情”のエネルギーが
伝わったのだろう

 

 
他の人の言葉に
便乗することでしか
自分の気持ちを
表現することができない
 
 
不器用なこの人が
母なのだということに
がっかりした
 
 
 

小さい頃から

理由が知りたかった私ですが

 

母親は、まったく別のタイプで

 

 

理由なんて関係ない

その時の気分とひらめきで

子供に指図する

 

父には我慢をしていたところもあるが

 

子供には遠慮せずに命令する

機嫌が悪いと子供にあたる

 

子供がどうしてそれをイヤがるのか

理由なんてどうでもいい

 

子供が思い通りに動かないと機嫌が悪くなる

手をあげて強制的に黙らせる

 

それでも言うことを聞かないと

子供の腕をグイっと引っ張って

玄関まで引きずりながら連れていき

抵抗する子供を力ずくで押しのけて

ドアの外に放り出す

 

あんたが悪いと責めたてる

 

 

 

時間が経って

どうやって家の中に

入ったかは覚えていない

 

 

そのあとも

あんたが悪いから、生意気だからこうなった

あんたが悪いんだからねといった態度だ

 

 

 

なぜこうなるのか、私のなかで

理由がわかたったことは

一度もない

 

 

なぜそんなに怒るの?

 

なぜなの?

 

 

 

そんなことが繰り返されていくうちに

 

心の底から、疑いなく

 

 

母は私のことが憎いのだ

と思うようになった

 

 

私のことを理解するどころか

私が悪いと責める

 

消えてなくなりたいと思った

 

 

言ってもわかってもらえないんだ

受け入れてもらえないんだ

 

憎くて仕方がないんだろうな

 

 

そんなに子供が憎いのなら

産まなければよかったのに

 

この人は憎い子供をどうして育てているのだろう?

 

きっと、捨てたら非難されるからだろうな

他人の目があるから

仕方なく育てているんだろうな

 

 

この人とは一生わかりあえないんだろな

 

 

まわりの友達にとって

母親という存在は

理解してくれる味方のようにみえていた

 

 

 

淋しいな

いつも満たされない

孤独感でいっぱいだった

 

 

 

私はサラリーマンの家庭で育ちました。
 
父、母、姉と小鳥、カメ、犬などいつも動物がいる家でした。
 
小さい頃の記憶は割とある方で
3歳まで住んでいた家の間取りや
生活の風景は今でもうっすらと覚えている。
 
父と母は忙しくしていたけど
一生懸命ちゃんと育ててくれたと今では思う。
 
小さい頃の自分を振り返ると
「不自由」「窮屈」「理不尽」という
思いが湧き上がる

 

親からの

 

「子供は黙ってろ」

「わからないくせに」

「おまえに何がわかる」

「生意気に」

「いいからあっちいけ」

 

理由がわからないまま

ことあるごとに怒鳴って言われることが

イヤでたまらなかった

 

 

幼稚園か小学1年生のときの

鮮明に覚えている感情がある

 

 

いつものように理由がわからないまま怒鳴られた後

 
「なぜバカ扱いしてこんなに怒鳴るのか?理由は何?
子供だって理由を言えばわかるのに。」

「自分に子供ができたら、絶対に絶対に理由を教えよう。」

「この気持ち絶対に忘れない!」

 

語彙力がなく言い返すことができなくて

ただモヤモヤして泣き叫ぶことしかできなかったけど

憎しみ腹立たしさ悔しさが混じった強い感情だった。

 

 

 

理由が知りたいだけっだたのに

 

 

 

 

「自分が悪い」と自動的に思ってしまうことは

当たり前のことだったので

 

そんなこと考えたこともない~

その気持ちわからない~

 

という人がいることを知って

 

自分がおかしいんだ。。。

とますます自分のことがイヤになりました。

 

 

「自分が悪い」「漠然とした不安」「無価値感」

それらを感じない人と、それらを感じる人は何が違うのか

 

育ちなのか?

性格なのか?

お金なのか?

健康状態なのか?

 

そんなことどっちでもいい
 
という人はこのブログに訪れることなく
自分のやりたいことに集中しているのだと思います。
 
 
私は気が散漫だったので
 
自分のやりたいことに集中している人のことを
羨ましいと思っていました。

 

 

なぜ「自分が悪い」「漠然とした不安」「無価値感」を

強く感じて動けなくなる人と、そうでもない人がいるのか

 

 

 

私にとっては大問題で、理由が知りたい。

そして、何とかしたいと思っていました。

 

 

 

 

これから、このブログで感情や気分について、

そのとき頭の中で何が起きていたのか

 

そして、これからの自分をデザインしていく様子を

書いていきたいと思います。

 

なぜこのテーマで書こうと思ったかというと

 

私は常々

 

「生きるのって難しい」

「人生って大変」

「なんか生きづらい」

 

と感じていました。

 

学校生活、親子関係、職場の人間関係など

 

馴染めない

うまくいかない

疲れる

辛い

苦痛

キツイ

 

心のどこかでこんなことを思っていました。

 

けれど、そのことを自分で認識する前に、自動的に

 

馴染めない自分が悪いんだ

 

うまくできない自分が悪いんだ

 

と思っていました。

 

自分が悪いんだと思う他にも

 

どうせ自分なんて

価値がない

ダメなヤツだ

 

という「無価値感」も強くありました。

 

他には

「漠然とした不安」

 

理由なんてないのにいつも不安になる

 

こんなことしてていいのかな

このままでいいのかな

 

そしてこんなことを感じるときは

いつも苦しくなる

 

苦しくて苦しくて
 
出口がみつからない
 

これは私だけなのか?と

 

ずっとずっと困っていました。