私は電話が苦手である。
元々「話すより書く方が好き」という押入れに生えたキノコのように根暗ちゃんではあるが、
相手が見えない状況で話すのは苦手を通り越して苦痛だ。
理由は色々ある。
電話代が・・・とか夢も希望もないことを書くとこの話終了!となるのでそんな野暮なことは言いまへんが
やはり「相手の状況を聴覚でしか確認できない」ことへの不安が強いだろう。
従って、私は電話下手だ。
自分からかけることは非常に少ないが、かかってきた電話もご機嫌スラッシュの時は取らないことが多い。
非常にワガママな行為と自覚して反省もしているが、イヤなもんはイヤなのである。
翻って、電話上手な人への憧れもある。
私がかつて営業をやっていた頃、一日に数十件の電話をかけたり受けたりしていた。
これが「ツレない会社へのアポ取り」だったり「遅々として進まない商談のプッシュ」など
難易度の高い電話の場合は、オフィスのデスクではなく会議室にこもって電話をかけるようにしていた。
自分と相手だけの会話を他の人に公開するという行為に抵抗があったのである。
周囲は私の会話を聞いていようといまいと、
本来その人と私だけで済む情報伝達を公の場で行わねばならない電話というツールを私は憎んでいた。
一方、同僚の電話上手の人は非常に楽しそうに受話器に向かって話をしている。
「なるほどー、ですよね。ああ、そうなんですか。そういえば弊社も最近こんな相談が多くてですね、
そうです!そうなんですよー。ところで御社もそんな状況ありませんかね?
ああ、であれば一度詳しくその辺の話を聞きにおうかがいしてもいいですかね?」
私は心のなかで「むう」と情けない声をあげていた。
この素晴らしい会話の運び。自然なコミュニケーション。
どれをとっても私にはできない技だ。
私はせかせかと用件だけを伝え、つたない表現で会話をつなぐ。
“ぐへ!また噛んじゃったじゃん、私ってば。なんだよ「そりでは」って・・・。はー。
ていうか、今相手も溜息つかなかった?もしかして退屈しちゃったりしてる?
ああっ!?今「ぐもっ」って言った!
もしかしてコイツ飯食いながら話してるんちゃうの?しどい!しどすぎる!!
女子としてオカズ扱いってどうよ!?・・・ああ、もうそんなコトはどーでもよくって!
せやから、ええい!もう行っちゃった方が早い!頼む!!アポ取らせてえええーーー。〝
書いていても虚しくなるが、まさにこんなお粗末な具合なのである。
今はメールという手段が発達したため、私のハードな鼻息も幾分かは鎮まってはいるが、
やはり話したほうが伝わりやすい場合はあるので、電話は上手であればそれにこしたことはないだろう。
一方、私の場合は実は電話は相手との相性を探るツールだと思っている面もある。
相手への信頼感、二人の距離感。
そんないくつかの条件をクリアした相手であれば、私は電話が怖くない。
かつてつきあっていた人とは、毎晩数時間も電話をして
その日の出来事などをとりとめもなく話をすることがあった。
聴覚を通じて、見えない彼の姿を、彼のいる情景を思い浮かべる。
ああ、喉が渇いて水を飲んでるな。ん?今「ガタっ」って音がしたけど、何かに躓いたんだろうか・・・。
そのような相手だけの空間がむしろ愛しく思えた。
聴覚だけでしか確認できない相手の状況を「怖い」と思わずに「楽しい」と思えるかどうか。
そこの想像を膨らます作業を前向きに行えるかどうか。
ここに相手との相性が現れるような気がする。
例えば恋愛の始まりにはこんなことがあるだろう。
「用事があるわけではない、ただ声が聴きたい」
「少しだけハッピーになれることがあった。ただそれを共有したいだけ」
そんな時、私は少し緊張しながら相手の番号を押す。
息が白い。今夜は雪かもしれない。
ふと空を見上げてみる。
ああ、夜空に浮かぶ月がきれいだ。相手も同じ月を見てくれているといいな・・・。
トルルル・・・カチャ。
「あぁ?何!?」
はい!台無しいいー。「何!?」じゃないっしょ、もう。ムードねえなあ。
こんな相手とはうまくやっていけないだろう。
電話でうまく相手の状況を察してくれる人は素敵だ。
そして、私のような電話下手でも「電話がしたい」と思わせてくれる相手は貴重だ。
元々「話すより書く方が好き」という押入れに生えたキノコのように根暗ちゃんではあるが、
相手が見えない状況で話すのは苦手を通り越して苦痛だ。
理由は色々ある。
電話代が・・・とか夢も希望もないことを書くとこの話終了!となるのでそんな野暮なことは言いまへんが
やはり「相手の状況を聴覚でしか確認できない」ことへの不安が強いだろう。
従って、私は電話下手だ。
自分からかけることは非常に少ないが、かかってきた電話もご機嫌スラッシュの時は取らないことが多い。
非常にワガママな行為と自覚して反省もしているが、イヤなもんはイヤなのである。
翻って、電話上手な人への憧れもある。
私がかつて営業をやっていた頃、一日に数十件の電話をかけたり受けたりしていた。
これが「ツレない会社へのアポ取り」だったり「遅々として進まない商談のプッシュ」など
難易度の高い電話の場合は、オフィスのデスクではなく会議室にこもって電話をかけるようにしていた。
自分と相手だけの会話を他の人に公開するという行為に抵抗があったのである。
周囲は私の会話を聞いていようといまいと、
本来その人と私だけで済む情報伝達を公の場で行わねばならない電話というツールを私は憎んでいた。
一方、同僚の電話上手の人は非常に楽しそうに受話器に向かって話をしている。
「なるほどー、ですよね。ああ、そうなんですか。そういえば弊社も最近こんな相談が多くてですね、
そうです!そうなんですよー。ところで御社もそんな状況ありませんかね?
ああ、であれば一度詳しくその辺の話を聞きにおうかがいしてもいいですかね?」
私は心のなかで「むう」と情けない声をあげていた。
この素晴らしい会話の運び。自然なコミュニケーション。
どれをとっても私にはできない技だ。
私はせかせかと用件だけを伝え、つたない表現で会話をつなぐ。
“ぐへ!また噛んじゃったじゃん、私ってば。なんだよ「そりでは」って・・・。はー。
ていうか、今相手も溜息つかなかった?もしかして退屈しちゃったりしてる?
ああっ!?今「ぐもっ」って言った!
もしかしてコイツ飯食いながら話してるんちゃうの?しどい!しどすぎる!!
女子としてオカズ扱いってどうよ!?・・・ああ、もうそんなコトはどーでもよくって!
せやから、ええい!もう行っちゃった方が早い!頼む!!アポ取らせてえええーーー。〝
書いていても虚しくなるが、まさにこんなお粗末な具合なのである。
今はメールという手段が発達したため、私のハードな鼻息も幾分かは鎮まってはいるが、
やはり話したほうが伝わりやすい場合はあるので、電話は上手であればそれにこしたことはないだろう。
一方、私の場合は実は電話は相手との相性を探るツールだと思っている面もある。
相手への信頼感、二人の距離感。
そんないくつかの条件をクリアした相手であれば、私は電話が怖くない。
かつてつきあっていた人とは、毎晩数時間も電話をして
その日の出来事などをとりとめもなく話をすることがあった。
聴覚を通じて、見えない彼の姿を、彼のいる情景を思い浮かべる。
ああ、喉が渇いて水を飲んでるな。ん?今「ガタっ」って音がしたけど、何かに躓いたんだろうか・・・。
そのような相手だけの空間がむしろ愛しく思えた。
聴覚だけでしか確認できない相手の状況を「怖い」と思わずに「楽しい」と思えるかどうか。
そこの想像を膨らます作業を前向きに行えるかどうか。
ここに相手との相性が現れるような気がする。
例えば恋愛の始まりにはこんなことがあるだろう。
「用事があるわけではない、ただ声が聴きたい」
「少しだけハッピーになれることがあった。ただそれを共有したいだけ」
そんな時、私は少し緊張しながら相手の番号を押す。
息が白い。今夜は雪かもしれない。
ふと空を見上げてみる。
ああ、夜空に浮かぶ月がきれいだ。相手も同じ月を見てくれているといいな・・・。
トルルル・・・カチャ。
「あぁ?何!?」
はい!台無しいいー。「何!?」じゃないっしょ、もう。ムードねえなあ。
こんな相手とはうまくやっていけないだろう。
電話でうまく相手の状況を察してくれる人は素敵だ。
そして、私のような電話下手でも「電話がしたい」と思わせてくれる相手は貴重だ。