私は考え事が大好きだ。

しかもぼや~んと空き時間に任せて考え事をするだけではなく、
「○時~○時は××のテーマについて想像を膨らませよう」と計画をして考え事をすることもしばしばだ。

・・・へっ?何か聞きようによっちゃあ大変な妄想癖のあるヤバい国の人みたいやな。

だだだ、大丈夫やで。
別に私は自分のことをキリストの生まれ変わりと信じちゃってる人ではないし、
ましてや首相官邸のイスにブーブークッションをしかけようとか、
ジョニー・デップにストーキングされて困っちゃう♪とか断じて思ってないで。

落ち着け、私。ここパニくるックーしていたら話が前に進まない。

しかし考え事は素晴らしい。何と言っても自由だからだ。
頭の中ではどんな突飛な発想でもフリー・アズ・ア・バード。しかも誰にも覗かれる事もない。

ひとりひとりの頭にこんな無限大の空想ワールドが隠されていると思うと、たまに私は空恐ろしい気分になる。

なぜなら、考えていることと比較すると口に出していることなぞ実に微量だからだ。
それに加えて、頭の中で考えている内容をその通り口に出していることすら少ないからだ。

例えば思春期によくあるこんな場面。

「M子ってば、杉本君にホ・ノ・ジじゃないのお?ヒューヒュー」
「ちちち、違うもん。アタシ・・・杉本君のことなんて、き、嫌い・・・だもん!!!」

そして自宅に帰って枕をポカスカしながらM子はこう叫ぶ。
「もう、M子のばかばかばか!どうしてあんなこと言っちゃったんだろう」

さらにテディベアのぬいぐるみ、チャーリーを胸に抱きしめながら呟く。
「ねえ、チャーリー・・・。
アタシ、本当は入学式の頃から杉本君と目が合うと胸が締め付けられるようになるんだ。
コレってなんだろう。もしかしてチャーリー、これがKO・Iってことなのかな・・・」


・・さ、この時点で何人くらい嘔吐したかな。

ちなみに「杉本君」というのはMリサーチが独自ルートで調査した
別冊マーガレットに登場した主人公で最も多いヒーローの名前NO1だ。

念のため補足すると、「チャーリー」は単に私が何となく思いついただけの名前だ。

四六時中頭の中は杉本君でいっぱいのクセに、その気持ちと裏腹にポロリしてしまったセリフ。
いやー、サワーでんな。コレでんがな、コレ。
Mおじさん、タマランち会長

しかし人生っちゅーのは皮肉なもんだ。

このセリフをお節介な女友達が杉本君にタレコミしたせいで、
実はM子のことを憎からぬ想っていた杉本は、プライドを傷つけられた勢いで隣の中学のメグミと交際。

失恋のショックでM子は夜な夜なセンター街をふらつき、
ハイになれる魔法のパウダーにお小遣いをつぎ込む。
挙句、借金返済のために新大久保の裏路地にあるプレハブ小屋でコンビニ価格で自分の躯を切り売りする。

ある日、過酷な肉体労働を終えたM子は仕立ての悪い小屋の窓からふと夜空を見上げてみる。
排ガスで曇った夜空に浮かぶ星と星をつなげると、それはいつしか男性の顔を成してくる。

白濁した視界と朦朧とした意識の中でM子は自嘲気味に呟く。

「あれえ・・?あの人・・・なんて名前だっけ・・・。何か胸が締め付けられる・・んだけ・・・ど・・・」


M子享年18歳
親は棺に毛玉のたくさんついたチャーリーを入れたとさ。
めでたしめでたし。


・・・んなワケはない。
タモさんでなくてもこう突っ込むことだろう。

そう。今回は「思ったことは何でも口に出そう、良い子のみんな」というオチではない。

人は地球上の生物で唯一感情や激情を持っている。
現実的には、きっとM子は自分の本音と言動との矛盾を何とか正そうと考えあぐねることだろう。

言えなかった言葉、伝えられなかった本心。
・・・この躊躇や葛藤を乗り越える過程は苦しいが、だからこそ美学がありそこに真実が隠されていることもある。

人の幸福について数々の名言を残したドイツの哲学者ショウペンハウエルは
「人間の幸福の二つの敵は苦痛退屈である。」と言っている。

「苦痛」という敵を乗り越えた暁には、M子は幸福になる道が拓けるかもしれない。
が、思ったことを思ったままに垂れ流すだけの楽な人生は、「退屈」という敵に遭遇しやしないだろうか。

「あなったが欲すぅーいいいー♪」

例えばカラオケでこう絶叫しているだけでは、結果はYESかNOしかなくなってしまう。
結果が明確なことは選択肢を簡素化し、そしていつしか退屈や空虚に通ずる気がしてならない。

また、えてして簡単に吐き出せる言葉なんて大層な意味がなかったりもする。

「杉本君のことチョー好きなんだけど」「杉本君てテクニシャン、めちゃ気持ちイー

女子の切り札はこのように簡単にクルックーしているだけでは、いざという時に効果は見込めない。

ついでに男子諸君は女子のクルックーを鵜呑みにしているだけでもいけない。
女子は本心とは異なる「悪気ない嘘」のような軽口をさえずることが得意だったりもする上に、
女子プロになると常にクルックー手裏剣の数枚は常備しているものだ。

なお、私は関東一のハト胸愛好家であることは認めるが、鳥インフルエンザに侵された人ではない。


ええと、つまりは、こういうことだ。

人とのコミュニケーションで余計なステップを省こうとするのは
若いワインを待ちきれずに呑んでしまうようなものかもしれない。

もう少し待てば熟成された呑み頃のワインを口にふくめるものならば、
そのプロセスをも楽しめる人間でありたいものだ。


さて、今回のオチだ。

「イヤよイヤよも好きのうち」
などの言葉に代表される頭の中と相反する言動は味わい深いものだ。
そんな芳ばしい矛盾を見つけては、私はシャープにこう指摘することにしている。


「お?なんや、イヤか?ホンマにイヤなんか?
身体は違うと言うとるでえ。素直になってもっとエエ声で鳴けや、ほれクルックー!!

・・・そんな過程に楽しみを見出す自分を決して恥じたりはしないぞ。