今月から3ヶ月コースで、平日の夜に外部のビジネススクール講座(マーケティング)に通い始めた。
2週に一度ながらもかなりハードな講座で、毎回の予習の時間は10時間以上かかる。
何を血迷ったか、実力以上にハードルの高い講座に申し込んでしまったからだ・・・。切腹。
平日は深夜まで働いているため、自ずと予習は週末にあてられる。
「あ~る~晴れたあ、ひ~る~下がりい、テーキースート開~くワシ~」(←ドナドナ♪でお歌い下さい)
・・・ほら、勉強虫だからキレもないやろ。
この講座は、基礎理論は既に習得済みであり、
かつ各種フレームワークを日常的に使いこなしている人が対象だ。
したがって参加者は見事におっさんだらけ。部長・役員がうようよいる。
(ちなみにクラスで女子は私だけ)
「よっしゃ、おじんらにギャルのヒップハングのツンパでもウン十万で売り込んだろか」
・・・という私の助平な思惑も虚しく、講義では目から血が出そうになるくらい大変な思いをしている。
ハンパな考察をするとこの世の果てまで糾弾されるし、毎回かなり完成度の高いプレゼンも求められる。
人前で話すことが苦手な人にはかなり辛い場だろう。
さてさて必死こいておベンキョーし、「そうか、コレや!見えたで!」と吸収力抜群気分の私だが、
もちろん理論と実践は違う。
題材として予め練ってあるケーススタディーを用いて4時間かけて結論に辿り着いた過程を、
例えば現実場面での短時間の会議などで実現するのはなかなか難しい。
こればかりは、学んだことを愚直に現場で試して、アタマとカラダのズレを沿わしていくしかないだろう。
偉人の名言マニアな私だが、実は
■分かること(See)と出来ること(Do)は違う
というシンプルな言葉が好きだったりもする。
例えば、「女がググっとくるナンパマニュアル」を100回読んだからといって、
実際に街で100人の女に声をかけられるとは限らない。
学んだからといって実行できるとは限らないため「学んだこと」は「やってみること」とセットにならないと、
効果は半減する。
かといって「とりあえずやってみよ!」と手当たり次第に100人ナンパを実行するだけでも脳がないと思っている。
最低限の「真後ろから声をかけるな」や「手相を見せて下さいと言うな」などの事前知識があれば、
無駄な弾は撃たなくても済むのである。
さらによくよく考えると、
■出来ること(CanDo)とやりたいこと(WillDo)は同じとは限らない
という思いにもつきあたる。
100発100中のナンパ師の腕前を身につけ、男としては「してやったり」の気もするが、
本当にやりたいことは隣の席のソバカスだらけのあの娘をデートに誘うことだったりする。
でも、それがどうしても出来ないふがいないオイラ。
あの娘・・・、オイラが話しかける時に声が震えてることに気付いちまっただろうか。
ま、そんなこともあるだろう。
あらためて考えると、仕事場面でも「やらなきゃいけないこと(Must)」をこなしているうちに
「できること(Can)」が増えてくる。それで、いっぱしの仕事人気分になっているかもしれない。
そして、いつしか自分の「Will」が何だったのかを忘れている。
あるいは「Will」が「Can」になっていない状態に疑問を抱かなくなったりする。
■やりたい→学ぶ→やってみる→できる
うん。分かりやすい幸せの構図はこんなもんかも。
実際は順番が狂うだろうが、各々の一致度やバランスをたまには確かめてみるのもいいかもしれない。
さて、話をビジネススクールに戻そう。
毎回講座が終わったあとに飲み会が開催されるのだが、
このビジネススクールではその飲み会は、通称「アフター」と呼ばれている。
それこそ実践ウォータービジネス界で本場の(?)アフターしたりされたりの私。
おっさんらが無邪気に「今日、アフター行っちゃいますか?」などと楽し気に話していると、
人知れず口元を緩ませたりしている。なかなか、ええオカズでんな、コレ。
また、おっさんらは「クラスの仲間」や「復習」や「レポート提出期限」など、
これらの単語をいとも楽しげに口にしている。
今や多くの部下を抱え、泥臭い接待をこなし、家に帰りゃローン地獄・・・
という世間の垢にまみれている彼ら。
よれよれスーツを着ながらも、ウン十年前のカビ臭い青春の1ページを取り戻そうとしているのかのようだ。
そんな甘酸っぱい気分に酔っているおっさんらを、
飲み屋で一人ずつ潰し、あらためて現実の厳しさに引き戻してやる慈悲心溢れるワタクシだった。
2週に一度ながらもかなりハードな講座で、毎回の予習の時間は10時間以上かかる。
何を血迷ったか、実力以上にハードルの高い講座に申し込んでしまったからだ・・・。切腹。
平日は深夜まで働いているため、自ずと予習は週末にあてられる。
「あ~る~晴れたあ、ひ~る~下がりい、テーキースート開~くワシ~」(←ドナドナ♪でお歌い下さい)
・・・ほら、勉強虫だからキレもないやろ。
この講座は、基礎理論は既に習得済みであり、
かつ各種フレームワークを日常的に使いこなしている人が対象だ。
したがって参加者は見事におっさんだらけ。部長・役員がうようよいる。
(ちなみにクラスで女子は私だけ)
「よっしゃ、おじんらにギャルのヒップハングのツンパでもウン十万で売り込んだろか」
・・・という私の助平な思惑も虚しく、講義では目から血が出そうになるくらい大変な思いをしている。
ハンパな考察をするとこの世の果てまで糾弾されるし、毎回かなり完成度の高いプレゼンも求められる。
人前で話すことが苦手な人にはかなり辛い場だろう。
さてさて必死こいておベンキョーし、「そうか、コレや!見えたで!」と吸収力抜群気分の私だが、
もちろん理論と実践は違う。
題材として予め練ってあるケーススタディーを用いて4時間かけて結論に辿り着いた過程を、
例えば現実場面での短時間の会議などで実現するのはなかなか難しい。
こればかりは、学んだことを愚直に現場で試して、アタマとカラダのズレを沿わしていくしかないだろう。
偉人の名言マニアな私だが、実は
■分かること(See)と出来ること(Do)は違う
というシンプルな言葉が好きだったりもする。
例えば、「女がググっとくるナンパマニュアル」を100回読んだからといって、
実際に街で100人の女に声をかけられるとは限らない。
学んだからといって実行できるとは限らないため「学んだこと」は「やってみること」とセットにならないと、
効果は半減する。
かといって「とりあえずやってみよ!」と手当たり次第に100人ナンパを実行するだけでも脳がないと思っている。
最低限の「真後ろから声をかけるな」や「手相を見せて下さいと言うな」などの事前知識があれば、
無駄な弾は撃たなくても済むのである。
さらによくよく考えると、
■出来ること(CanDo)とやりたいこと(WillDo)は同じとは限らない
という思いにもつきあたる。
100発100中のナンパ師の腕前を身につけ、男としては「してやったり」の気もするが、
本当にやりたいことは隣の席のソバカスだらけのあの娘をデートに誘うことだったりする。
でも、それがどうしても出来ないふがいないオイラ。
あの娘・・・、オイラが話しかける時に声が震えてることに気付いちまっただろうか。
ま、そんなこともあるだろう。
あらためて考えると、仕事場面でも「やらなきゃいけないこと(Must)」をこなしているうちに
「できること(Can)」が増えてくる。それで、いっぱしの仕事人気分になっているかもしれない。
そして、いつしか自分の「Will」が何だったのかを忘れている。
あるいは「Will」が「Can」になっていない状態に疑問を抱かなくなったりする。
■やりたい→学ぶ→やってみる→できる
うん。分かりやすい幸せの構図はこんなもんかも。
実際は順番が狂うだろうが、各々の一致度やバランスをたまには確かめてみるのもいいかもしれない。
さて、話をビジネススクールに戻そう。
毎回講座が終わったあとに飲み会が開催されるのだが、
このビジネススクールではその飲み会は、通称「アフター」と呼ばれている。
それこそ実践ウォータービジネス界で本場の(?)アフターしたりされたりの私。
おっさんらが無邪気に「今日、アフター行っちゃいますか?」などと楽し気に話していると、
人知れず口元を緩ませたりしている。なかなか、ええオカズでんな、コレ。
また、おっさんらは「クラスの仲間」や「復習」や「レポート提出期限」など、
これらの単語をいとも楽しげに口にしている。
今や多くの部下を抱え、泥臭い接待をこなし、家に帰りゃローン地獄・・・
という世間の垢にまみれている彼ら。
よれよれスーツを着ながらも、ウン十年前のカビ臭い青春の1ページを取り戻そうとしているのかのようだ。
そんな甘酸っぱい気分に酔っているおっさんらを、
飲み屋で一人ずつ潰し、あらためて現実の厳しさに引き戻してやる慈悲心溢れるワタクシだった。