読書

 

格差の起源を読みました

 

 

狩猟時代 貧富の差はなかった。農耕が始まり、自分たちで生産・貯蔵が可能になると

その量の違いにより貧富の差が生じたと読んだことがあります

 

それが具体的にいつどうやって(5W1H)が説明されているのかと勝手に思っていましたが

違いました

 

工業国と農業国で育てる子どもの数が違うとありました。

 

工業国で給料のいい仕事に就くには高学歴であること。そのため子どもの教育費に

お金がかかり、たくさんの子供に進学するお金を用意するのは困難なので、子どもを

多くは育てない

 

農業国(農業に適した環境の国)では、労働人口が多いと生産量が増える。工業国ほど

学歴が求められるわけでもない。なので子ども一人当たりの教育費は工業国より少ないが

育てる子供の数は多い

特に小作に生産させる地主は、小作が高学歴だけど少ない人数になるより、高学歴ではないが

多い人数の方が好ましい

 

(なら、教育費を安くすれば、今の日本も出生率が増えるとは思うのですが、出生率低下の

根本的解決策になるかは微妙と思いました。経済的障壁が緩和されても、自分の時間をどこまで

子育てに費やせるか。進学(ストレートで入学、卒業できても博士後期課程修了は27歳)、

仕事のキャリア、自分探し、自分磨き、子育て以外のやってみたいことetcの誘惑の多いこの

世の中です。

 

技術や社会制度の革新は緊張感のある国、地域で生まれるそうです。緊張感のある国、地域というのは

ぼやぼやしていると他の国、地域から侵略されるかもしれない国、地域です。群雄割拠ですね。自分たち

負けないために優れた技術、制度が必要なわけです。一方で侵略される恐れがない国の支配者は自分たちの

支配が続くのに、新しい優れた技術、制度は不要、自分たちの土台を揺るがすかもしれないととらえて

いたそうです。例えばオスマン帝国では、宗教上の知恵の普及の独占を守る勢力のために、1485年にアラビア語の活版印刷機械の導入を禁止したそうです。

 

 

著者は多様な社会というものを善、社会が発展するために必要と考えているようです。

ここでの多様な社会というのは、異なる民族、宗教の同居です。