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古事記の暗号(コード)―太陽の聖軸(ライン)と隠された古代地図/池田 潤


いや~、かなり面白かったです。

日本神話は、太陽の道なんです。

最近ではレイラインとか言われてます。

つまり、夏至の日の、日の出、日の入り。

冬至の日の、日の出、日の入り。

春分、秋分の日の、日の出日の入り。

このレイライン上に、富士山、伊勢、出雲をはじめ、日本神話に登場する舞台が網羅されているのです。

しかも、正確に、ストーリー性を以って。

神話のその場面によって、何処を軸にレイラインを見るかも重要です。

天孫降臨、神武東征、イザナギ・イザナミの国生み、出雲の国引き、天の岩戸、などなど。

ぜ~んぶ、レイラインで説明できます。

僕にパソコンで地図上にレイラインを書き込める技術があればここで参照してみたいのですが、あいにく出来ません。

なので、気になる方は、この著書を購入、もしくは立ち読みでもいいので、参照されている数多のレイラインによる検証地図を御覧ください。

一目瞭然っす。


日本神話は、古代の天文科学地政学図であったのです。

そのスケールの大きさは我々現代人が完全に忘れ去ってしまった自然をよく観察し、学び、共生する生活の術と、自然への畏敬の念を思い出させようとしてくれるかのようです。

いや、今年、未曽有の災害と事故を経験した我々日本人への、古人からの警告のようにも感じれます。

元々は太陽信仰、太陽崇拝。

ア二ミズムと呼ばれるもので、縄文人の智慧の結晶を、弥生人が地政学的に利用したのが古事記、日本書紀に記された神話とも言えるでしょう。

また、世界各地に遺る古代文明にも同じような太陽信仰があったのは皆さんご承知の通り。

我々日本人が知らなければいけないのは、この日本列島にも、レイラインが張り巡らされ、古人の魔方陣が今でもこの列島に杭打たれているという事実。

まず、重要な聖地を上げると、富士山。

日本人として、元旦に富士山から昇る初日の出を拝むという行為は、其れ即ち、太陽崇拝ど真ん中っすよ。

特に夏至の日の日の出と冬至の日の日の入りを一直線に結びますと。。

これ、凄いっすよ。

日立→富士山→伊勢→室戸岬→足摺岬→日向→笠沙岬、を貫きます。(あ~、やっぱ地図がほしい)

目からウロコなのは、天孫降臨神話の舞台、日向高千穂と邇邇芸と木花咲耶姫の神話の舞台、笠沙岬。

木花咲耶姫は富士山に祀られています。

天孫降臨に纏わる神話は、この夏至の日の日の出と冬至の日の日の入りを直線で結ぶことにより関連性浮かび上がってきます。

更に、地名も、日が立つ、故に、日立。

日に向かう、故に、日向。

よく出来てますね。

そして、この太陽の道を常世の国へ辿った神話が神武東征です。

これまた丁寧にレイライン上を駆使して、宮崎の高千穂からわが町、難波へ向かって東征されてます。

内海の海上ルート、瀬戸内から。

因みに当時、大阪はまだ、河内に内海があったからね。

そして、神話は次なる神話への伏線、出雲の国譲りを暗示させます。

これまた、神話の舞台は、すべてレイライン上。

しかも、出雲、諏訪、伊豆、イジム。

地名にも暗号が隠されています。


他の神話も、すべて、見事にレイラインに鑑みた関連性で神話は創られているようです。

恐らく、列島の原住民の聖地に、渡来人が意味づけをして、縄張りをはっていった、侵略の記録、とも言えるでしょう。

太陽が綺麗に昇り、美しく沈む景色が拝められる場所が聖地。

権力者、侵略者は、その場所に、結界を張った。

うがった見方ですが、歴史の事実でしょう。

でも、日本神話から浮かび上がる景色や、風景、物語を、美しく妄想してしまいたいのは日本人の性でしょうか。

日本の歴史について調べるたびにいつも思うのは、ホントに、この国の風土が尊いと思うんです。

四方を海に囲まれ、山々は連なり、時に荒ぶる神のごとく自然が猛威をふるい、火山が爆発し、台風が上陸し、大地震に津波、そして、色とりどりの四季に恵まれ、豊かな山幸、海幸。

そんな島国で発酵された精神文化こそが、尊い財産だと思うのです。

日本神話が、外国の神話に比べて比較的、懐柔性を帯びてると言われているのは、この島国の風土が影響しているのでしょう。

出雲から大和への国譲りなんて、ホントは血で血を洗う権力闘争であったのでしょうが、何故か、和睦的に描かれている印象をもってしまいます。

その物語は神話の中で、永遠に語り継がれているなんて、素敵なような、残酷なような。


さて、この著書のあとがきでも著者が触れられておりましたが、今年は日本が未曾有の国難を体験しました。

文明の近代化と共に、日本の原風景も大分損なわれてきました。

また、地域の市町村の合併に伴い、古くから残る地名も消えつつあります。

特に今年は、原発事故により、深刻な被害が出ています。

以前から拝読している某ブログで、原発が建設されている場所は、古代史的に重要な土地が多いとの記事を読んだことがあります。

この著書でも、福島第一原発は、レイライン上、或いは、交通路としても特筆される境界の地であると指摘されています。

関西ですと福井の若狭付近の原発銀座。

若狭、舞鶴は古代史的には任那、新羅からの渡来人が多く住み着いてきた土地。

更に追求すれば、当時の大和朝廷に抗った民。

神話では「纏ろわぬ人々」として、土蜘蛛などと呼ばれてきました。

それは、現代に残る、被差別部落の原型です。

政府はその地区にアメとムチを施し、国策である原子力事業を押し付けてきました。

沖縄の在日米軍基地も然り。

酷い。

国策=酷策。

この国の負の体質は今も、脈々と受け継がれているのです。

しかし、もう限界です。

今回の国難でこの国の膿がたくさんあぶり出されました。


知人に古代史と現在の政治体制を鑑みた話をしても笑われることが多いのですが、ほんと、この国の負の部分は千年以上も変わってないんです。

もちろん庶民の道徳心の高さは今回の災害でも世界で高く評価されました。

阪神・淡路大震災の時もね。


歴史は繰り返すのか。

今、瀬戸際です。

過激な革命は望みませんが、この国の歴史、風土を今一度、国民が知り、この先の未来、何処へ向かえばいいのか。

一人ひとりの生き様に求められているように思えます。

きっと

お天道様は、知っているだらう。