本編ラストナンバーは「素晴らしい世界」
轟音渦巻く最後に、
「素晴らしい、光と、影」
吉野さんの絶叫が心斎橋上空のフロアに、響いて、いた。
定刻を5分ほど回ったところでメンバーが現れる。
吉野さんのラフなMCから一転、今回のツアーアルバムのリードトラック「ドッコイ生キテル街ノ中」が心斎橋上空に鳴り響く。
この感覚。
しばらく忘れていた。
実を言えば、ここ数回のeastern youthのライブの際の個人的な心情は、不安定であった。
彼らの音楽に救いを求めているのか。
何かから、逃避したかったのだらうか。
わからぬ。
知るか、そんなこと。
忘れた。
忘れた。
しかし、今宵のeastern youthのライブに臨んだ、私の心情に、理屈など無かった。
eastern youthのメンバーがステージに現れ、爆音が鳴らされた瞬間、ホントに、来て、良かったと、目頭が、熱くなった。
ホントに、尊いな。
ホントに。
フロアに集まった、皆も感じていたはずだ。
密度が、濃密であった。
お世辞にも、動員は、多いとは言えなかった。
しかし、吉野さんもMCで触れていたが、ここに集まった人数が、多いのか、少ないのかは、分からないが、やはり、大震災を経て、今まで、当たり前だったものが、実はそうでは無かったと言う事を皆、実感しているからこそ、eastern youthの放つ、轟音の1音1音を、丁寧いに、愛おしく、あそこに集まった、全員が、紡いでいるように感じられた。
吉野さんの声のキレは、心筋梗塞で倒れられた以前にも増して、迫力を伴い、ビートはトグロを巻き、オーディエンスが、全身全霊でそれらを受け止め、また其れを、eastern youthにフィードバックする。
その光景は、ロックバンドのライブではよく見受けられる事だが、やはり、俺は、以前とは違う、何か、切実なものに感じられた。
明日は、来ないかも知れない。
今日は、無かったのかも知れない。
今、目の前で鳴らされている爆音は、ホントは、無くなってしまっていたかも、もしくは、僕自身が、今日、この場面に出くわせなかったのかも知れなかった。
大袈裟か。
大袈裟だろう。
大袈裟なんですよ。
大袈裟に伝えたいんですよ。
だけど、現場の空気感は、残念ながら絶対ここではすべてを伝えられない。
ざまーみろ。
今日、俺は、ラッキーだっただけ。
往年の名曲を折はさみ、自然に拳が上がり、一緒にシンガロングした。
声が枯れるほど。
前身でリズムを刻み、目を瞑り、爆音に身をゆだねる。
ソレダケ。
日々の雑念を溶かし。
得体の知れぬ、明日を、睨む。
俺の、鼻歌と口笛は、また、大阪の街に響くのだらう。